「そもそも、奴隷を解放するって具体的にどうするの?」
  抜本的な質問で申し訳ないが、寿には一番の疑問だ。
  アッシュはにやりと片頬を引き上げた。
 「――この小屋、何のために建ってるか知ってるか?」
 「ううん」
  寿は小屋の中を見回してみる。
  この杜撰な環境下にあって、壁はしっかりと雨風が入らないように塗り固められているし、屋根も雨
 漏りしないように気を遣ってあるようだ。窓などはなく、ぎっしりと一抱えほどの大きさの木箱が積み
 重ねられている。
 「……ていうか、コレなに?」
  アッシュは笑ったまま、コン、と凭れている背後の箱を叩いた。
 「発破」
 「……?」
  聞いたことがない。
  にやけたアッシュの顔を見て、セサルが溜め息をついた。
 「つまり、火薬だ」
  寿はここ最近で覚えこんだ単語を脳内で検索した。
 (……確か、どうしても掘り出せない岩とかが出たときに爆破するって、ヘラルドが)
  言っていたような、気が。
 「え、えぇ!?」
  思わず、サーシャを庇うようにして箱から離れる。
  くつくつとアッシュが喉を震わせた。
 「大丈夫です、コトブキ。火の気を持ち込まない限り、危険はそうありませんから。アッシュ、脅して
 どうするんです」
  アッシュはただにやにや笑う。
  すると、この小屋は火薬保管庫なのか。
 「で、でも、そんなところに勝手に入っていいの。あいつらに見つかったりは……」
 「しねぇよ」
  あっさりと手を振られる。
 「だいたい、これ作ってんの誰だと思ってんだ」
 「まさか……奴隷?」
 「ですね。役人たちは、危険な火薬に近寄りたくないんですよ。万が一でもあれば、死にかねない代物
 ですし」
  寿は呆気にとられた。
  そんなまさか。
  だから監理棟から離れた場所にあるのだろう。いやしかし、見張りくらいいてもおかしくないはずだ。
 「あれ、でも、もし奴隷がこれ使って攻撃とかされたらどうする……」
  寿ははたと口を噤んだ。
  面白そうに目を細めたアッシュと、静かに微笑んだセサルを凝視する。
 「これ、で?」
 「そういうこと。奴らは奴隷が叛乱するなんて微塵も思っちゃいねぇし、そんな頭はないと思ってやが
 る。好都合だけどな」
  アッシュは小屋の隅、最も高く積みあがっている木箱の一番下のものの、板と板の間から紙切れを引
 っ張り出した。
  黄ばんで、寿が知る紙より分厚くてごわごわしている。
  広げると一面に何か抽象画にも似たものが描かれている。
 (迷路だ)
  何かの図案のようにも見えるけれど。
 「……これ、もしかして地下の」
 「そう、お前が掘らされてるやつな」
  す、とセサルの労働で荒れた、それでもどこか品の良さを感じさせる真っ直ぐな指が図案をなぞった。
 「これはスールと呼ばれるもので――まあ迷路なのですが。エレシウスでは墓の下には必ずこれを掘り
 ます」
 「スール」
 「ええ」
  セサルはゆったりと声音を落とした。
 「神々がまだ地上に坐しましたその昔、この辺りに戦上手な男神が暮らしていたそうです。豪腕、勇猛
 果敢な彼は地上のあらゆる魔物を倒し、人間に住みよい土地を与えてくれました。けれど、裏切りにあ
 って死に、悲しんだ人々は彼を手厚く葬りました。しかし、彼の恨みは死後もおさまらず悪精となって
 地上へ蘇ってしまったのです」
  悪精。寿の知らない単語だ。
 「オレしってる。グールだ」
  寿の腰にくっついているサーシャが、目をこすりながら言う。
 「グール?」
 「ええ、体は土色で目は赤く牙があり、吐く息で生き物を殺す恐ろしい魔物です」
  つまり、悪鬼のようなものだろうか。
  寿は頷いた。
 「その災いは凄まじく、彼が一歩あるけば地上の草の根は遥か海まで残らず枯れてしまいました」
  その手の神話なら寿も聞いたことがある。
 「それで、このあたりは砂漠なんだ?」
  セサルは良くできた生徒へ向けるように鷹揚に目を細めた。
 「それ以降、魂がグールになって地上に出てこられないよう、墓の下にスールを掘るようになったので
 す」
 「へーえ」
  寿は感心した。
  風土により慣習が異なるのは当たり前だが、これは面白い。
 「ちなみに、権力者であればあるほど、スールは複雑に深く、広く掘ります」
 「なんで?」
 「生きているとき大きな力を持っていたのだから、死後も同じだろうというわけです」
 「なるほど」
  それでいま寿はこんな大掛かりなスールを掘らされているというわけか。
 (まあ、王様なんだから、スールだけじゃなくて墓自体がそもそも大きいんだろうけどさ)
  アッシュが皮肉気に鼻で嗤った。
 「これに入る予定のラフィタ王は、この規模が必要なほど目立った王じゃねぇがな」
 「そうなの?」
 「弱い犬ほどよく吼える。そういうことだ」
 「ふぅん」
  だから却って、権力を見せ付けたいということだろうか。
  アッシュの表情に一瞬だけ強い、けれど複雑な軽蔑を見つけて寿は首を傾げる。
 (軽蔑――じゃない。嫌悪?)
  けれど、アッシュは瞬きひとつでいつものシニカルな笑みに戻ってしまったので、寿は尋ねる機械を
 失った。
 「見ろ」
  アッシュが図面をとんと指で叩く。
 「端の、ここから少し進めば、役人どもの監理棟の下に出る」
 「うん」
  言いたいことが分かってきたかもしれない。
 「真下に、ここの火薬をしかける……そういう計画?」
  無言の肯定が返ってくる。
  寿は顔を上げて、アッシュを見つめた。
 「はっきり言えば、こっから逃げ出すのは簡単だ。こんな物騒な真似なんかしなくてもな。だが、別に
 俺はただ逃げ出したいわけじゃねぇ。俺は手前ぇで手前ぇの理由を見つけて、この計画に手ぇ出してん
 だよ」
 「それは……」
  どんな理由だろう。
  尋ねようとして、しかしアッシュの琥珀色の双眸に気圧されて、寿は目を伏せた。
 「おれ、は……」
  何を言うつもりなのか。
  結局、言葉は見つからず寿は口ごもる。
  逃げるだけなら、さっさと一人で逃げろと言われているのか。
  内心の怯懦を見透かされた気持ちで、寿は俯く。
 「仲間はおよそ、百五十人です。それだけの人間が一度に逃げ出すには役人の混乱は必須ですが、うま
 くいったとしても危険は大きい」
  寿は諭すようなセサルの声に、おずおずと顔を上げた。
  彼の微笑は穏やかだが、その理知的な瞳は甘くはない。
 「ですから、考えてください、コトブキ」
 「……かんがえる?」
 「ええ、あらゆる選択肢を、それによって何が起きるのか」
  いま決めろとは言わない。だが、いずれは――。
  寿は、とうとう船を漕ぎ出したサーシャを抱く手に力を込めて、頷いた。
  聞きたいことはまだたくさんあったはずなのに、それを口にする余裕などなくなっていた。


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