◇   ◇   ◇


 もう幾度目の角を曲がっただろう。いま一人で放り出されたら、きっと寿は自力で地上へ辿り
つくことは叶わないに違いない。
 ぐい、と寿は涙で濡れた目元を腕で擦った。
「……?」
 何か、音が聞こえる。
 また角を曲がり、そうしてようやく射した明かりに寿は一瞬強く瞼を瞑った。長時間暗い闇に
置かれた目には、眩しすぎた。
(明かり――?)
 でも、外の、太陽の光とは違う。
 そろりと開けた目に映ったのは、狭い通路で窮屈そうに作業をする数人の奴隷だった。皆、土
木工事などで見る道具を持っている。
(通路を、掘ってる……?)
 では、この地下通路は掘り進められている途中で、まだ完成していないのだ。地下に降りてか
ら、ここまで歩いてきた感じでは大分距離があったと思ったのだが、いったいどれほどの規模な
のだろう。もしかしたら、あの巨大な墓穴の広さ全体にわたってつくるつもりなのかもしれない。
(……何のために?)
 寿の世界にあった古墳やピラミッドみたいに、財宝などを納めるつもりなのだろうか。
 ガイッカが立ち止まり、鞭で壁を叩く。
 寿は反射的に竦んだ。
 奴隷たちが、振り返る。みんな男で、全部で三人いた。年齢は二十代から三十代前半といった
ところだろうか。
 彼らは、口を開かない。
 ガイッカが気に入らないといったふうに鼻を鳴らした。
「新入りだ。せいぜい仲良くするんだな」
 眉をひそめた彼らの視線が一斉に自分に向き、寿は僅かに怯んだ。緊張が走る。
「……来な」
 中でも、一番体格のいい男が低い声で言い、顎をしゃくった。
「……」
 寿は無言で従う。
 ガイッカの隣をすり抜けるとき、嫌なかんじに厚ぼったい唇が歪んだのは気のせいではないだ
ろう。
 思わず、眉が寄る。
「いつもなら僕が直々に教育してやるんだが、あいにく呼び出しが入ってる。君たちに任せよう」
 そして、くつりと喉で嗤う。
「……好きにしろ」
 それはどういう意味だ。
 ぎくと寿が顔を強張らせたのを確認してから、ガイッカは意味もなく玩具を振り回す子供のよ
うに鞭を空中で一振りして踵を返した。
 ――別に、ガイッカがこの場に居たからといって、寿にいいことなど一つもないだろう。むし
ろ、想像が追いつかないくらい酷いことを強いられる可能性だってあるのだ。
 しかし、見知らぬ奴隷の男三人の前に一人で放り出されて、寿は不安に立ち竦んだ。
「……おい、お前」
 間近で見下ろされ、咄嗟に後ずさろうとした寿の肩を、男の手が強く捉える。
「……っ!」
 怖い。
 ――が、
「もう大丈夫だぞ。あのクソ役人は当分、戻ってこねぇよ」
「…………え?」
 それは、子供を安心させようとする大人の声だった。
 寿は目を見開き、肩を叩く男を見上げる。次いで、順に隣に並ぶ二人を見るが、彼らの表情に
も敵意や悪意はかけらもなかった。
(なにが……どういうことだ……?)
 戸惑う寿に、力強い微笑みが返る。
「安心しろ。オレたちは――仲間だ」


 アッシュたちの手回しによるものか、幸運な偶然だったのか、とにかく寿が配属された所の奴
隷は抵抗組織――レジスタンスの仲間だったらしい。
 とりあえずの安息に、寿はほっと息をつく。
「……そうか、コトブキを連れてきたのはアダンか」
「ほんと、やな野郎だよなぁ」
 寿は気さくな物言いに緊張を解き、苦笑を返した。
 一番体格のいい長身の男はホセ。随分と鍛えた体をしていて、袖のなくなった服から伸びる腕
にはしっかり筋肉がついているし、鍬を振り上げる度に背中が隆起するのが分かった。彼がここ
では最年長らしく、体格のせいかどことなくファビオに似ている気がした。
 人の好さそうな笑みを浮かべる男が、ヘラルド。喋るのが好きらしく、彼らの中でも多く寿に
喋りかけてくれる。困ったような垂れ目が愛嬌があった。
 そして、イマノルは長身のわりに細く、針金のように薄い体をした青年だった。柔和な表情で
平和主義に見えるのだが、だからこそレジスタンスの一員になることを選んだのかもしれない。
なんと一番の古株で、アッシュやセサル、ファビオたち三人と同じくレジスタンスの創設者だと
いう。
 イマノルが、ホセが掘り出した土を台車に乗せながら、寿に微笑みを向けた。合間に肩で汗を
拭う。
「ここにいる奴隷は、全部で千二百くらいかな」
「せんに……!?」
 思わず、イマノルと同じく土をスコップですくっていた寿が手を止めると、彼は苦笑した。
「少ない方だよ」
「そうそ。こんな砂漠の辺鄙な場所だし、派遣される役人の人数も、食料の補給も一手間だしな」
 ホセの隣で、同様に壁を掘り進めていたヘラルドが荒い息を吐いた。
「本当なら、その四、五倍はいていいと思うぜ」
「ああ」
 ちらとこちらを振り返ったホセも、軽く頷く。
(……そうか)
 言われてみれば、あの役人たちがここで生活していると言っても、家族ともどもこの地自体に
根付いているわけではないことは、瞭然だった。加えて、食料の問題は重要だろう。この砂漠が
どの程度広大で、都市から離れているのかは知らないが、運ぶだけでも苦労に違いない。更に、
食料の保存も考慮しなければならないだろう。水はどこかから汲みだしているらしいので心配は
いらないが、寿たち奴隷が飲む分はともかく、役人が口にする水は時間をかけて濾過しているの
だそうだ。
 ひょっとすると、役人たちも新鮮な野菜や果物は口にできていないのかもしれないな、と寿は
思う。
 保存食といえば、乾物だろうか。さぞ味気なさそうだった。
(まぁ、おれたちより何十倍もマシだろうけどさ)
 大丈夫か、と問う声に寿は頷き、汗を拭った。
「……それで、地上には千、この地下には二百人くらいかな」
「へぇ……」
 では、迷路のような通路を、二百人が寿たちのように幾人かに別れて掘っているのだ。
(えっと、おれたち四人で一グループとして、それが二百人だから……)
 五十のグループが、地下に散らばっているということで。
(……どんだけ広いんだ)
 まさか本当に、墓のあの広大な穴の面積分、掘るつもりなのだろうか。
(軽くサッカーのフィールドくらいはあったんだけど……!)
 もしくは、それ以上の広さだ。
 自分の想像に唖然としてしまう寿に、イマノルが声をひそめた。ふ、と表情から笑みが消える。
「その中で、おれ達の仲間は百五十」
「――――」
 寿は息を呑む。
 千二百人分の、百五十人。
 少ないのか多いのか、寿には分からない。
 ――だが、初めて耳にしたレジスタンスの具体的な規模だった。
 休憩、と大きく息をついて、ヘラルドが手を止め、壁によりかかる。
「……対して、役人の数は三百そこそこってとこか」
「それは……」
 少ないんじゃないだろうか。
 あくまで千人超の奴隷に対してで、ただレジスタンスの人数と比べた場合は、
「多い、ね」
 アッシュたち――寿たちの、倍だ。
 ホセが首肯する。
「オレたちが少ないのは分かってるが、容易に仲間を増やすわけにはいかん。バレたら、オレた
ちはそこで終わりだ」
「ま、唯一の救いは、俺らが決起したとき、他の奴隷たちが役人を助ける可能性は低いだろうっ
てとこかな」
 ヘラルドが明るく笑った。
 イマノルが苦笑を滲ませる。
「問題だらけだけどね。なんとかするために、おれ達はこうしてるんだから」
「……うん」
 不安を払拭できたわけではない。けれど、寿はなんとか笑みらしきものを浮かべることができ
た。
 
 ――時がきたら、

 そうセサルが言った意味は、こういうことだったのだ。
 やみくもに抵抗しても、失敗に終わる。
 確実に、自分たちが望む未来を目指すなら、為すべきことを為し、考えに考え抜いて勝ち抜か
なければならないのだ。
(……そのために、おれができることは何だろう)
 寿が望む未来のために、寿は何ができ、何をしなければならないだろう。
(考えないと、いけないのかもしれない)
 見据えた前方はただ暗く、闇が広がっていた。

いまはまだ、雌伏の時。
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