地下の労働で唯一の救いが涼しいことだろうか。それも、激しい運動で滝のような汗が流れるので、
 効果があるかはあやしいけれど、地上よりはマシだろう。
  それ以外は、すべてにおいて寿には厳しい環境といえた。
  まず地上から穴を降りなければならない。その際は当然危険が伴うし、固い岩盤まじりの壁を掘り進
 めるのはひどく力のいる作業だった。
 (一番は……)
  寿は、そっと肩越しに背後を窺う。
  何がおかしいのか、細い目を更に半月に歪めて嘲笑う男が鞭を弄びながら寿たちを監視していた。地
 下へ連れてこられたとき、寿を蹴倒したガイッカという役人だ。
  地下はおそよ四、五人に振り分けられ五十ほどのグループが散らばっているようだが、よほど隣接し
 ていない限り、役人たちの監視は一グループに一人つくらしい。
 (マンツーマン、てわけか)
  はっきりいって嬉しくない。
  溜め息を誤魔化すように、寿はツルハシを振り下ろした。
  ガキン、と固い感触が返ってきて、手を痺れさせる。
  改めて違う場所をもう一度掘ってみるが、あえなく跳ね返されて、寿はツルハシを降ろした。
 「またか」
  ホセが小さく呟く。
 「うん」
  背後から怒声が響く前に、ヘラルドが小さなスコップを手渡してくれる。まずは埋まっている岩の全
 長を把握しなければ。そうしてトンネルを崩さないように、慎重に取り除くのだ。
  ――崩さないように。
  そう、いつ崩落してもおかしくない場所にいるのだと思えば、自然、寿の背筋は冷えた。
 (くそっ)
  心中で悪態をつく。
  スコップで壁をつついていると、隣でイマノルが低く声を落とした。
 「最近、多いね」
 「はい……」
  寿が地下の穴掘りに回されてから三日経つが、徐々に石塊(いしくれ)が多くなっている。今日はこ
 れで三回目の中断だった。
  小さいものならまだ良いが、大きいものとなると取り除くのに一日がかりになってしまうだろう。
 (別に、こんな作業進まないならそれで別にいいんだけど)
  王の墓など、好き好んで掘っているわけではない。
  ――だが。
 「何してるこのグズ!」
  ばちぃ、と寿の肩を掠めて、壁に鞭があたって空気を震わせた。
  寿は思わず目を瞑る。
 「っ……!」
  眼前で弾けた鞭のしなる切っ先に、心臓が縮んだ。
  しかし、ずっと目を閉じているわけにはいかない。もっと酷いことをされるからだ。
 「やめてください、石が出たんです」
  平静を保とうとするイマノルの声に鞭が退く気配がして、寿はやっと目を開いた。
  半身だけ振り返ると、すぐ側まで来ていたガイッカが薄い唇を不満げに歪めていた。
 「石が出るのはオレらのせいじゃねぇですよ」
 「そうそう」
  ホセとヘラルドが言い添えると、ガイッカは更に面白くなさそうな表情を浮かべた。
  彼は基本的に、ホセのような屈強な奴隷には強く出ない。横柄な態度を改めることはないが、決して
 暴力はふるわないし近くに寄り付こうともしない。
  代わりのように狙われるのは、寿のように見るからに非力そうな奴隷だった。
  寿はガイッカの格好の得物なのだ。
  気に入らないとばかりに足元を蹴りつけてガイッカは後ろへ離れていく。
  寿は目線で三人へ礼を言い、また土壁へ向き直った。
  スコップを握る手に力を入れるたび、潰れた肉刺が鋭い痛みを訴え、滲み出る膿で滑りそうになる。
 回復したはずの体は、あっという間に疲弊していた。
 (きつい……)
  肩で額の汗を拭う。
  終わりのない労働、固い地面の上では満足に疲労がとれるわけもなく、与えられる食事は日に日に粗
 末になってゆく。
  還りたい。
  その願いは日増しに強まっていた。
  日本でなくてもいい、ここ以外のどこか別の場所へ逃げれるのなら、何でもいいとさえ思う。
 (……サーシャ、大丈夫かな)

  この世界に来て、半月以上が過ぎようとしていた。



  その夜、アッシュに呼び出されて寿はあの小屋に足を運んだ。
  鞭に打たれてから一週間あまりを寝込んだ粗末な小屋は、寿たちが就寝などで集まるところよりも少
 し離れた場所にある。役人の監理棟からは更に距離があった。
  寿はサーシャと手を繋ぎ、目立たないようこっそりと奴隷の集団を抜ける。
 「サーシャ、足元気をつけて」
 「うん」
  小屋につくと、既にドアの隙間から小さな灯りがもれていた。
  ドアを三回、一拍置いて今度は四回叩く。
  鍵があるわけではないが、セサルがすぐに開けてくれた。
 「お待ちしていました、コトブキ」
 「久しぶり、セサル」
  寿は微笑んでみせる。
  セサルと会うのは三日ぶりだった。
 「来たか」
  アッシュと会うのも。
  地下労働に回されてから、初めてだ。
 「アッシュも久しぶり」
  三日ぶりに見たアッシュの変わりない強い金の目に、肩の力が抜ける。
 「サーシャも一緒なんだけど、いいかな」
 「構わねぇ、入れろ」
  おいで、と笑いかけると、ぼさぼさの前髪で隠れた幼い顔がくしゃりと破顔した。その頭を撫でて、
 背に腕を添えて促してやる。
  サーシャは寿の隣にちょこんと座った。
  その様子を見て、アッシュが口の端だけを吊り上げる。
 「懐かれてんな、相変わらず」
 「昼の作業場所がはなれちゃったから、よけいに心配させてるみたいで」
  寿は苦笑する。
  サーシャは眠そうな顔で、小さく欠伸した。いつもならもう寝ている時間だからだろう。そっと肩に
 手を回し、自分に凭れかかるようにしてやった。
  セサルはそんな寿とサーシャに微笑を向ける。
 「どうです、地下労働は。大丈夫ですか?」
  上から下まで寿を見たセサルは、顔を曇らせた。一見して寿がやつれたのが分かったのだろう。
 「大丈夫じゃないけど、なんとかやれてる。ホセたちと一緒にしてくれたの、アッシュたちなんだろ?
 ありがと」
 「いえ、それくらいしかできなくて……」
 「じゅうぶんだよ」
  むしろ、最大限の気遣いだ。
 「ガイッカってヤな奴が監視だから、やりにくいけど。ホセが気をつけてくれるから平気だし」
 「ガイッカ?」
  ふとアッシュが眉根を寄せた。
 「知ってる?」
 「まぁな、評判悪ぃし」
  アッシュは短い金髪をかきあげた。
 「コトブキ、お前――目をつけられたかもしれねぇ。当分は大人しくしとけ」
  寿は目を見開いた。
 「な、なんで」
 「ガイッカは階級でいやあ下っ端だが、二長のベニートの気心知れた手下みたいなもんだ。何か勘付か
 れるとすぐベニートに報告がいく。気をつけろ」
  ひゅ、と寿は息を飲んだ。
 「……あのさ、具体的におれたち、えっと仲間のことを知ってる奴隷っているの」
  アッシュは軽く頷いた。
 「まあ、いるのはいるだろうが、詳しくは知らねぇはずだ」
 「何人いるか、頭は誰か、とか?」
  セサルが苦笑する。
 「そうですね。ですが、知っていても、それを役人に話したりはしませんよ」
 「そうなの?」
 「できない、と言った方が正しいですか。発覚すれば奴らは誰彼構わず殺すでしょうから」
  寿は唖然とした。
 「調べたりは……」
 「するかそんなもん」
  あっさりとアッシュが吐き捨てる。
 「はぁ……」
  溜め息のように、寿は頷いた。
 (そ、想像以上……)
  目眩までしそうだ。
  ひとつ頭を振って、気を取り直す。せっかく会えたのだから、この際聞けることは聞いてしまうつも
 りだった。
  レジスタンスに誘われた当初は頭が働いていなかったが、この三日、単調な労働の間に疑問は次々と
 湧き出ていた。
 

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