佐伯サラこと、サラ・マルディンは俯いたまま絶句していた。
  滔々と語る使者殿の言葉が右から左へ抜けていく。
 「ですから、王女殿下におかれましては我が国に是非ともお越し頂きたく……」

  十五で両親を交通事故で亡くし、天涯孤独の身の上となった一ヵ月後に、今度は自分が交通事故に遭
 うという最早一家揃って何か疫病神的なものに憑かれていたとしか思えない不幸に襲われ、気がつけば
 なんだか日本じゃない場所にいた。
  端的にいえば、異世界トリップ。
  ☆マークでも語尾につけたいところだが、軽いノリで笑っている場合ではない。正直参った。
  なんせ身寄りがないとはいえ、日本では学校に行ける制度もあったし、多少の貯えもあった。しかし
 異世界だ。
  財布の中の野口英世と平等院鳳凰堂が何の役にたってくれよう。誰にも通じない言語で印刷された教
 科書類は重いだけだし、落ちて真っ暗なままの画面の携帯電話なんか投げて護身用の武器にするくらい
 しか利用価値がない。
  無一文。
  しかも言葉も分からない。
  第一村人的な人には、初っ端から服装のせいか不審人物扱いをされた。
  すったもんだの末、どうにか身を落ち着けることになったときは、世の中捨てたもんじゃないと思っ
 たし、どこにでも善人がいてくれるものだと思った。もちろん、悪人だっているけど。
  咄嗟に「天は我を見放さず」とうフレーズを思いついたものだが、いやまず不運に見舞われたからこ
 その台詞かと考えればやはり少々納得がいかなかったり。
  まあとにかく、後見してくれる人が現れて。餓死する可能性がなくなって。夜は屋根の下で身の危険
 を気にせずふっかふかのベッドで眠れて。言葉を話せるようになるまではお頭がないのでそりゃもう苦
 労したが、それでもなんとかやっていけるようになった矢先だ。

 「――つまり、陛下は王女殿下、貴女様を後宮にお迎えしたいと仰せです」

  纏めれるんなら、最初からそう言えよ。
  いや待て、うっすら察してはいたが、なんの戯言か。


         テンプレって知ってます?


 「まあそれは――なんのご冗談でしょう」
  はんなりとした戸惑いを含む声音に、帝国からの使者はやたらときっぱりとした口調で告げる。
 「戸惑われるのも無理はございませんが、決して冗談などではございません。こちらが陛下直々に認め
 られた書簡でございます。お改め下さい」
  と言われても。
  易々受け取るのは怖いって。
 「……お待ち下さい、使者殿。我が娘はいまだ十六の子供、急な申し出に驚いておるのです」
  お解りいただけるか、との威厳たっぷり好い人ぶりっこな王の助け舟を、とりあえずは使者は見逃す
 ことにしたらしい。
 「いえ、わたくしの配慮がいたりませんでした」
  深々と頭を下げた彼は、顔をあげてにこりと胡散臭いくらい爽やかに笑む。
 「では三日後に、良い返答を期待しております」
  ええー、何その言い方。
  既に期限決まってるし、「まさか断らねぇよな、あぁん?」て聞こえるんだけど。え、被害妄想?
 「ええ、何もない国ですが、どうぞごゆるりと過ごしていただきたい」
  無難な王の言葉に、使者は完璧な仕草で礼をとって退室していった。
  分厚い扉が閉まった瞬間。
 「嫌よ」
  しっかりはっきりきっぱり、ノーを主張する声が王の間に響く。
  トルージア王国第百二十三代ライオネル王は、若干の諦観を乗せて長い溜め息を吐き出した。
 「といっても、断るわけにはいくまいよ」
 「分かってるわよ」
  でも嫌なんだよね、そうだよねー。
  カルテガルド帝国は、このクラチナ大陸の半分を国土とする大国だ。
  そして、我がトルージアは超小国。
  親指と人差し指をくっつけてOの形にして頂きたい。オッケーのOでも銭のOでもどっちでもいいけ
 ど。それがだいたい、クラチナ大陸の形だ。真ん中の穴がエルシナ内海。真ん中を縦で割った半分が、
 カルテガルド帝国。
  で、爪の先がトルージア王国。
  うーん、はっきりいって比べようがないな。
  戦争しても瞬殺っていうか、これ戦争になるのかな。
  図にするとよく分かる。孤立無援? 四面楚歌? とにかく背後は海、それ以外は右を向いても左を
 向いても帝国以外の国はない。
  これで侵略されない方が不思議なんだけど、されかかったことだってあるけど、三千年の長きにわた
 り独立を保ってきた。
  保ってこれたのは、ひとえに外交術の賜物らしいですね。
 「行ってくれるか、我が娘よ」
 「縁を切ってくださいませな、お父様」
  だってほら、もう王様さしだす気満々だし。
 「三日後に返事をするとして、準備に三月以上は欲しいものだな。トーマス、どうだ」
  優秀な宰相であるところの彼も、皺の浮かぶ顔で至極真面目な表情をつくって頷いた。
 「ええ、殿下もそろそろ……という話はあがっておりましたので、僅かながら入用な品は揃えておりま
 す。ただ、皇帝相手ですとそれなりのものを揃えなくてはなりませんし……ぎりぎりですかねえ」
 「格が見劣りしてはいかんからの」
 「まったく」
  ああ、迷いがない。
 「ちょっと本人は無視なの?」
  だって、皇帝の後宮といえば、確かもう既に四人ほど美しい(らしい)美女が入内しているはずだ。
  今更そんなところに入って寵を争うって、うわ、無理無理無理。いや別に争う気はないけど、こっち 
 にその気はなくても、ねぇ?
  しかも、皇帝の評判はなんというか、凄い。
  十五で帝国内の内乱で初陣して屍の山を築き上げ、次の年には戴冠して粛清の嵐を巻き起こし、その
 また次の年には戦争を仕掛けてきたとある国を滅ぼして逆に呑み込み、一年とんで現在御歳十九であら
 せられる彼の皇帝はすでに帝国史上最高の賢帝だと言われているのだとか。
  なんだその功績。
  ていうかまだ十九なのに、大変ですね皇帝って。
  んで、すっごい美形なんだってさ。
  ファンタジー(ほし)ってかんじ。あのライトで逆ハー的なノリの。きっと側近も美形なんだろう。
  どんだけ。
  逆に怖いわ、そんな人間。
 「ああ、そうだ。母上にも報告しておいで」
 「そうですとも。そうそう会えなくなるのですから、できるだけ長く一緒にいてさしあげてくだされ」
 「寂しいことだ」
 「ええ、まったく」
 「持参金の額だが」
 「今回申し込みはあちらでしたので」
 「輸出税の件を条件につけるのはどうだ。あと内海領域と」
 「あくまで婚礼ですからねぇ、多少の緩和はしてくれるでしょうが」
 「クォーツの輸入量」
 「フレンツェルフェン条約の改訂は」
  あれよあれよという間に、勝手に話が進んでいく。その切り替えの速さが小国ながら独立を維持して
 きた強みなんだろうけれども。
  勝手に嫁に来いと言われて、しかも正妃でなくあくまで妾妃で、しかもさっさと行ってこいとばかり
 の身内のこの仕打ち。
 「だから、嫌だって、言ってるでしょ――ッ!!」
  腹が立つのが当然。立たなきゃ変だ。
  王女にあるまじき声量で絶叫し、髪を逆立ててドレスの裾をたくし上げて走り去る。
 「母上のところに行くんだよ、サフィニア!」
 「走ると転びますぞ、殿下!」
 「うるさーいい!」
  そんな背中を憐憫こめた視線で見送るのが、佐伯サラことサラ・マルディン十八歳、現在トルージア
 王国第一王女、サフィニア・シルフ・エル・トルージア殿下の侍女なのだが。
  王女が後宮に行ったら、仕事はどうなるんだろう。
  再就職先が必要かしら。就活しておくべき?
  なんていうか、設定から展開の何から何までテンプレなのよねー。
  王女の後を追うために、ひっそりと退室しながらサラは嘆息した。

主役じゃないんです。
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