サラは暫しかける言葉に迷い、結局はいつも通りに口を開いた。 「……えー、大丈夫ですか、殿下」 途端、くぐもった呻き声が返される。 「ですよね。お茶いれます」 突っ立ってるのも何だし。 「何も言ってないでしょ!? ていうか、なんでそんなに冷静なのよっ」 「申し訳ありません」 他人事なので。 とはさすがに口にできないので黙っておく。空気は読まなきゃね。 長椅子の肘掛に伏せていた顔を、サフィニア王女はがばりと上げる。思わずサラは一瞬だけ目を瞑り 瞬いた。 眩しくて。 サフィニア・シルフ・エル・トルージア王女は、一言でいうと美少女だ。超絶。 細く長い性の良い髪は輝く銀髪。大きなくりくりの瞳は、まるで夏の空のような曇りのない青でいき いきとした感情を衒いなく映し出す。線の細い頬は柔らかく、赤い唇は珊瑚のよう。ツンとした小さな 鼻と整った眉が少女らしく勝ち気そうで、いまみたいに涙目で睨み上げられたらどうしてくれようとい う気分になる。 今年ようやく十六歳になったサフィニア王女に、サラは二年前から仕えている。サラが十五のときに この国の伯爵、マルディン家に保護され、一年かけて語学を修得――しきる前にとある縁あって侍女に 就職したのだ。二年で大分慣れたと思うが、いまだに多少粗相をやらかしてしまうのはもう致し方ない だろう。だってサラはこの世界の人間じゃないし。ここまで馴染んだだけで褒めてほしいものだ。 サフィニア王女はせっかくの美貌を歪めて、がうっと歯をむき出しにした。 「いーい!? 帝国ってすっごい野蛮なんだから。ウチの父さまが第百二十三代国王で、我が国は立国し てからおよそ三千年。あっちは二千年とちょっとなのに、現皇帝陛下なんて二百七代よ!?」 うーん、サバイバル。 どんだけ皇帝死んでんだ。 血で血を洗うってかんじだ。見るからに。 とは思いつつも、とりあえずフォローしてみる。 「在位が短いだけかもしれないじゃないですか。こう、穏やかに後任にゆずったとか」 「それ本気で言ってる?」 ジト目で見られて、つい目を逸らしてしまう。 まあ、お茶入れよう。そうしよう。 部屋の隅、備え付けられている道具を手にとる。魔法って便利だ。サラは使えないけれど、魔法具さ えあれば簡単にお湯が沸くし。しかも一瞬で。 初めて魔法を見たとき、それはもう驚いたものだ。ただ感動している暇はなかったが。だってその魔 法で殺されかかったから。 数ある茶葉の中から、鎮静効果のあるものを選ぶ。湯を注ぐと、ふんわりといい匂いがした。蒸らし 時間は通常より少しだけ長めに。 この二年で随分とお茶をいれる腕前もあがった。なにせ、王女様に供すのだからものすごく特訓した。 だってまずいものなんか出せないじゃないか。 「どうぞ。ひとまず落ち着いてはいかがでしょう」 「……お前のお茶はおいしいわ。だからむかつくのよね、こういうとき」 「おそれいります」 これだけ美しいと生意気な物言いも可愛いから得だなー。 サラはようやっと身につけた侍女らしい物腰でしとやかに頭を下げた。 まさか、日本でフツーに女子高生をしていた頃には想像だにしなかったものだけど。こうして誰かに 仕えたり、主のためにお茶をいれたりするなんて。ていうか、主っていう単語が既に非日常というか。 おしとやかに、とか考えたこともなかった。高校生活なんか三ヶ月もなかったけど。 敬語だって最近やっと使いこなせるようになったのだ。だからまだちょっとおかしいところもある。 トルージアで使用されているシャネイ語は大陸の共通言語なので、これさえ使えればそうそう不便も あるまいが、修得するまでが大変だった。文法的には英語に似ていないこともないけれど、そもそもサ ラはあまり頭が良い方ではない。辛かった。その一言に尽きる。勉強嫌いだし。 そっといつものように傍らに控える。 「どこが不満なんですか。皇帝陛下、すごく美形だって評判じゃないですか? 玉の輿ですよ」 「興味ない」 すっぱり。 うーん。 「バカ王に嫁ぐわけじゃないんですし」 「いくら賢くても、もう四人も女がいる男よ」 「英雄色を好むって言いません?」 「どこの諺? それに、英雄でもなんでも好色な男は嫌いなの」 「贅沢いっぱいできますよ」 「質素倹約は美徳だわ」 「でも殿下、宝石大好きじゃないですか」 「無駄使いが好きなわけじゃないでしょ」 「国母になったらなんでも思い通りですよ?」 「それ誰が言ったの? 母さまがいつ好き勝手したかしら」 ていうか、とサフィニア王女は一息ついた。 ぎろりと睨まれる。 「お前、やけに勧めるわね。誰に説得しろって言われたの?」 うん、まあ気付かれるか普通に。 「ご想像の通りだと思います」 サフィニア王女ははしたなくも舌打ちして部屋の隅をぎりぎりと睨め付けた。 その気持ちは十二分に察することができる。 サラだって、皇帝だろうが何だろうか知らない男に妾に来いとか言われたら、腹が立つ。まあ、望ん で立候補する女性もいるだろうけど、人それぞれ。 しかも、後宮だ。 一度入ってしまえば、余程のことがなければ外に出ることなどできないだろう。もしかしたら、二度 とこの国に帰ってこれないかもしれない。 サフィニア王女は、トルージアを愛している。父王も、母も、弟も。 サラはそっと目を伏せた。 家族を愛する気持ちなら、よく分かる。失ったからこそ、余計に。 碌々友達もいなかったから、あちらの世界に未練はないが、両親が生きていれば何としてでも還る手 立てを探したに違いない。 それに、立場的にいくら大人びていようと、サフィニア王女はまだ十六歳だ。 結婚に夢も希望もあるだろう。 だって、こっそりこってこてのラブロマンス小説を愛読しているの知ってるし。 王女も大変だ。 同情する。 しかし、だからといってサラがこの件に関して彼女にしてあげられることは、まったくといっていい ほど、ない。皆無だ。 ただの平凡な、一侍女には事が大きすぎる。 ――そして、それはトルージア王女とて同じこと。 「殿下」 サラは大きく吐息をつく。 こちらを振り向いたサフィニア王女は、心なしか泣きそうな顔をしていた。 「殿下の選択肢はあまり多くないと思います。このまま嫌々嫁いで、トルージアの立場を悪くするか。 与えられた残りの時間で大切に陛下や王妃さま、王太子殿下と過ごし、トルージアの王女として充分な 準備を整えるか」 「……それって、結局は一択じゃないの」 「殿下次第です」 今度こそ、サフィニア王女はくしゃりと顔を歪めた。 ――サラだって、心が痛まないわけはない。 この少女は、王族に生まれたというだけで恩恵と、義務がある。決しておろそかにすることも、自ら 背くこともできない義務だ。 何歳だろうが、関係ない。重くて、つらいだろう。 「……怖いですか」 「あたりまえよっ」 だろうなぁ。 自分の国より遥かに強大な国の、しかも王様に、妾に来いと言われて。断れなくて。恐ろしくないわ けがない。 でも、怖かろうが嫌だろうが、行かなければならないのだ。 「殿下」 サラはそっと、震える彼女の手からカップを取り上げた。俯く銀色の頭を見下ろして、出来うる限り 優しく肩に手を置く。 「王妃さまのところへ行きましょう」 多分いまは、母親が必要だ。 サフィニア王女は小さく頷いた。 トルージアの王妃は、ふくよかで穏やかな顔立ちの貴婦人だ。サフィニア王女と同じ温かな青い瞳に うっすらと涙を浮かべて、娘を抱き締めた。 「サフ……嫌なら、行かなくてもいいのよ」 そして、そんなことを言う。 「母さま」 ぶわりとサフィニア王女の瞳から涙が溢れた。 「……」 サラは黙って、部屋を退室した。 気を利かせての行動だが、後から王妃付きの侍女も出てくる。王妃と同じくらいの年齢で、サフィニ ア王女の乳母のフェイだ。 彼女も涙を堪えるように唇を噛み締めている。 「お辛いでしょうに」 「はい、フェイさま」 王妃さまも、ああは言ったけれど分かっているのだ。サフィニア王女も。 行かなくていい、どうにかする、そうは言ってもどうにもできるわけがない。あの言葉は純粋な親心 からだった。 手放したくない、厳しいに違いない場所に行かせたくないと、思っている。 いつか王女が嫁ぐことは分かりきっていたし、そう遠くない未来だということは覚悟していただろう。 その手の話もあったから。 けれど、どこの親が好き好んで自分の愛娘を妾に差し出すだろう。 いや、帝国の規模を考えればそんな親もけっこう多そうだけれども。 少なくとも、トルージアの国王と、王妃は違う。 「陛下はなんと?」 「断れるはずもありませんから」 「そう、そうですね……」 フェイはそっと目頭を押さえた。 王もあの場ではああ言っていたけれど、多分、あの人が誰よりも一番帝国に逆らえないことを知って いた。 王様もかわいそう……。 娘と妻を愛していても、国民を守るためなら娘をさしださなければならないなんて。 不謹慎で薄情ながら、ちょっと思ってしまう。 小市民でよかったー。 自分ならと想像するのもおこがましいけれど、サラなら絶対無理だ。無理無理無理無理無理無理。 滲んだ涙を拭ったフェイが、きっと顔をあげる。 「これから忙しくなります。わたくしは行かなければなりませんが、あなたはここにいなさい。ハンナ 様とサフ様を頼みますよ」 「はい、フェイさま」 サラは叩き込まれた仕草で、フェイに頭を下げた。 慌しく去っていく王妃付き侍女頭のぴんと伸びた背中を見送る。婚礼衣装の用意、嫁入り道具の吟味、 これからサラも含めて目まぐるしくなる。 ――それが終わったら、サラはサフィニア王女の侍女ではなくなる。 さみしくなる。 部屋の様子を気にしながら、サラは立ち尽くしている回廊から遠くへ目をやった。青い海原が陽射し を反射して、きらきらと美しく輝いていた。 |