帝都は、サラの想像よりも広かった。とてつもなく。
  さらりとタキが教えてくれたところによると、帝都はまず巨大な高い塀でまもられているらしい。通
 れる門はいくつかあるが、最も大きく、多く利用される門を一の門と呼び、帝都を囲う城壁を一の壁と
 いう。
  一般人の住まうのは、その一の門をすぎた城下町。
  次は二の門と、二の城壁。その内側は貴族たちの屋敷が建ち並ぶ貴族街。高級店といわれる店のほと
 んどは貴族街に出店したがるそうだ。
  ちなみに、タキにそこでドレスを新調したらどうかと言われた。微妙に嫌味ったらしい。
  さらにその奥が、三の門と三の城壁――王城である。
  こちらでは、皇宮ともいうのだったか。
  でも、サラの想像する宮というよりは、やっぱり城だ。
  トルージアの王城は、白亜と呼ぶに相応しい真っ白で優美なたたずまいだった。そのぶん、年間の手
 入れが大変だったのだけど。
  対して、カルテガルドの王城は、荘厳の一言に尽きる。
  頑丈そうな石積みの、いかにも堅牢そうな城だった。
  陰気くさー。
  ようやく城に帰還できたのが嬉しいのか、心なしか晴れやかな表情をしているタキのとなりで、サラ
 はこっそりと失礼な評価を下した。
  そしてサフィニアはトルージアを出立したときと同じく、もちろん丁寧に手入れした花嫁衣裳をもう
 一度着込み、豪奢な馬車のうえからにこやかに手を振っている。
  帝都は広いので、けっこう長い間。
  お疲れ様です。
  サラだって無理やり微笑んでいるのだから、お互いさまだけど。だって日傘ってわりと重いし。腕が
 だるい。
 「……サラ」
  前回と同じように、低く呼ばれる。
  でもサラにだってどうしようもない。
  ぼそぼそと笑顔で会話を交わす。
 「頑張ってください、殿下。あともう少しです」
 「感じ悪いわね」
  それはサラではなく。
 「ですよね。国民の皆さんとずいぶん落差ありますね」
 「いいわよいいわよ、敵認定」
 「ていうか、現時点で味方が一人もいませんよね」
 「おだまり」
  今回はさすがに、帝都の一の門から皇帝のところまで顔見せをさせるつもりらしい。
  帝都民の反応は悪くなかった。むしろ、初々しい若く美しい異国の姫に感動したのか、歓迎ムードは
 進むごとに高まっていった。
  だが、問題は貴族街だ。
  帝国に仕える手前、新たな皇帝の妃を歓迎する態度をとらないわけにはいかないらしく、一応屋敷か
 ら大通りまで出てきている。花嫁が通るたび、歓声がわく。
  ――が、
 「敵意って隠せないものよね」
 「これ全部が愛想笑いですか? こわいですねぇ」
  ていうか、ご苦労さまです。
  貴族の方々はみんな笑顔で手なんて振ってくれちゃうのに、なんだか視線がチクチク痛い。
 しかも、時折投げてよこされる花はすべて馬車に届く前にタキたちが排除してしまうという……何が
 仕込まれてるんだろう。
  想像すると恐ろしいので、黙って任せておく。
  でもさすがに疲れた。主に、腕と表情筋が。
 「タキさま、王城まであとどれくらいでしょう」
  見えてるのに一向につきませんよ?
  根をあげたサラにタキの答えは無情だった。
 「そうですね、貴族街を一周しなければいけませんから」
  それはかなりかかるという意味だろうか。
 「……」
  サラとサフィニアは無言で笑顔の隅で青筋をたてた。


  ようやく王城に到着したときには、うっかり顔の筋肉が固定されて笑顔から素に戻るのに苦労したく
 らいだ。
  きっちりと城の正門からずらりと整列した騎士、官吏、女官、侍女に感心する。
  ふぅん。
  躾は行き届いているようだ。
  疲労を隠して、きっと内心で罵倒し続けているだろう外面をひっさげたサフィニアの手を引き、粛々
 と進みながら、こっそりと面々を観察する。
  おそらく奥に進むにつれ、重要な位置についている者になるのだろうけど……なんだか、若い人が多
 いような?
  外見からいって、二十代。もしかしたらサフィニアより幼いんじゃないだろうかと思うような者まで
 いる。
  トルージアではやはり、重鎮ともなれば若手といえどそれなりに歳をくった人だったが。
  城に入ってからは、そう歩かされることはなかった。
  辿り着いた大きな扉は、謁見用のものなのだろう。
  王が、客と会うための。
  いくつそういった部屋があるのかは知らないが、ずいぶん大仰な扉だ。高い天井まで、重厚な木でで
 きている。細緻にほどこされた彫刻は天から降りてくる竜。
 「妾妃さま」
  初めて、タキがその敬称で呼ぶ。
  このなかに、皇帝がいるのだ。
  サフィニアは帝国の妾妃になる。
  その地位と権力と義務と犠牲。
  得るものは、なにかあるだろうか。
  ――自分は?
  サラからするりと手を離し、サフィニアは艶やかに微笑んだ。
 「お目通りを」
  サラの腕一本より長く太い純金の把手は大の男が渾身の力で引く。
  音をたてて、扉がひらいた。

  王城のなか、深紅の絨毯のうえを進む。
  トルージアの城の絨毯は、群青だった。
  ここではサラはサフィニアの手を引けない。代わりに、タキがサフィニアを導いていく。サラは彼ら
 の後にひっそりとついていくだけだ。
  ……人が少ない。
  だだっ広い謁見の間は、威厳という一点を主張する仰々しいつくりそのもの。通常なら控えているだ
 ろう衛兵――帝国では近衛騎士が、一人しかいない。
  顔を伏せているのでいまは見えないが、扉が開いた一瞬で見えた、最奥の玉座の側に直立していた男
 がそうだろう。タキと似たような格好をしていた。
  更に、玉座を挟んでもう一人。
  すっきりした立ち姿の、多分文官だと思われる男。
  そして泰然と玉座に座す皇帝と――サラたちを除けば、三人しかいない。
  サラは密かに危惧する。
  この待遇は何を意味するのだろう。
  異例ということは、分かった。
  彼女らしく優雅で軽やかな足取りで進み出たサフィニアは、美しく礼をとった。爪先から髪一筋にい
 たるまで、完璧な。
  傍らでタキが膝をつき、騎士の礼をとる。
  サラも倣って深く頭を下げた。
 「――ご苦労だったな、タキ」
  艶やかな、低く通る美声。
  噂に違わぬいい声じゃないか。
  ……にしても、妾妃に迎える花嫁より先に、部下に声をかけますか。
  散々疲れさせられたサフィニアが何を思うか――なんて分かりきっているか。何をするかが、心配だ。
 「は、タキ・ステルセン、ただいま帰還いたしました」
  畏まってはいるけど、ほんのわずかに面白がる口調。
  ふーん、皇帝と親しいって本当だったんだ。
  なんにせよ、腹は立つけど。
 「顔を上げよ」
  くつり、一瞬だけ喉で嗤って皇帝が命じる。
  サフィニアが顔を上げたのを伏せたまま上目で確認して、サラもゆっくり体を起こす。
 「――サフィニア・シルフ・エル・トルージアと申します。この度のこと、恐悦に存じます」
  言葉少なな、しかし最大限に王女の威厳を保った涼やかな声音。
  さすが殿下。
  皇帝の傍に控える二人が目を見開いた。
  きっとサフィニアの美貌にも感嘆したのだろう。
  なんだか「ざまーみろ」という気分になりつつ、サラは目立たないようにそっと視線を走らせ――息
 をのんだ。
  無駄にでかい玉座をものともせず、むしろ相応しいと思わせんばかりの迫力で座る、その男。いや、
 まだ年齢からいえば青年のはずだ。
  サフィニアにも劣らない輝きを誇る、見事な金色の髪。顔だちは鋭くも端正に整っていて、白皙の頬、
 高い鼻梁や、薄く形のいい唇といい、まるで人形のように美しかった。
  ただし、その目を閉じていれば。
  濃く深い森のような翡翠の双眸は、獰猛な獣が獲物を前にしたときのように冷徹に底光りしていた。
 「こ……」
  怖!
  いや、声は出しませんでしたけど。
  思わず口が半開きでかたまる。
  いやいやいや、確かに噂通り美形できれいな顔だけど、怖いよ!
  ていうか、これで十九歳?
  本当に?
  はっきりいって、見た目はサラよりも上だ。二十五ぐらい。確かタキがそれくらいじゃなかったか。
  服の上からでもしっかり分かる逞しい体躯が、なおさら迫力というかプレッシャーに拍車をかけてい
 る。
  表情を動かさず、若き皇帝は口を開いた。
 「リオフ・アントガルド・ソル・エルシオル・サルテ・カルテガルドだ」
  ……長くないですか。
  アントなんとかまでしか分かんなかった。
  内心でつっこんでいると、サフィニアがもう一度ゆったりと腰を折る。
 「よろしくお願いいたします、陛下」
  皇帝の横に控えている騎士が「え、それだけ?」みたいな顔でサフィニアを見る。
  普通はここで、「末永く」だとか「精一杯お仕えいたします」だとかつくんだろうが。だって最初が
 肝心だ。陛下の寵を掴むには。
  うーん、作戦通りに演技するなら、言っておかなければならない台詞なはずなのだけど。
  どうやらサラの予想以上に、サフィニアは怒っているようだった。
  ……とはいえ、ここでサラにできることは何一つない。まさか皇帝の目の前でサフィニアを咎めるわ
 けにもいかないし。表情を変えず、つつましく控えているのみだ。
  でも、まずいんじゃないのかな。
  だって、微妙に皇帝の目が変わった気がする。
 「遠いところ、よく来られた。不便があれば、遠慮せず言うがいい」
  人に命令することに慣れた、支配者の口調だ。
  ……若いのに。
  やはり生まれ育ちって大切なんだな、人格形成に。
 「いいえ、タキさまはじめ、騎士や使者の皆様には大変よくしていただきました」
  散々ワガママ言ったしね。
 「……ただ」
  え?
  サラは目を瞬いた。
  ふんわりと、たおやかに細い首が傾げられる。背に流した銀糸が、さらと肩をすべった。
 「如何した」
  何言うんだこいつ、という表情を皇帝の横二人が浮かべる。背中しか見えないが、きっとタキも同じ
 ような顔をしているだろう。
  わずか皇帝の翡翠の目が眇められる。
 「ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか」
 「許す」
  サラは呆気にとられた。
  え、なにを聞くんですか、殿下。
  そして思い出す。
  ようやく。
 『どうして私なのかしら』
  サフィニアはそう言っていたではないか。
  ――まさか。
  内心で悲鳴をあげたサラの願いかなわず、サフィニアは一片の躊躇なく口を開いた。

 「陛下はなぜ、わたくしをお選びになったのですか」

  サフィニアはそれはそれは清々しい笑みを浮かべていたに違いない。
  ……見えなかったけど。

ゴングは打ち鳴らされたってかんじですか。ファイッ!
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