さて、とサフィニアは腕を組んだ。
 「ケンカも売ったし、やることはやったわ。当面はどうするべきかしらね」
 「……別にケンカを売る必要はなかったのでは」
 「うるさい」
  はいはい、黙ります。
 「やっちゃったものはしょうがないでしょ!」
  それで巻き添えくうのは私なんですが、とは言わず、「はいはいそうですね」と頷いておく。もうど
 うしようもないのは確かだ。
 「お茶のお代わりです」
  今度は温かいものを。
  うーん、お茶請けがほしいなあ。
 「ところで、サフィニアさまの侍女ってわたしだけなんでしょうか」
 「何か問題が?」
 「大有りです」
  これだから、人の世話をしたことのないお姫様は。
 「トルージアにいたときも、お傍に控えてたのはわたしだけですけど、サフィニアさまのお世話は何人
 かに手伝ってもらってましたし」
  だってドレス着せるのとか、化粧とか、大変なんだよ。
  お茶いれたあとの片付けとかお茶請け持ってこさせたりとか、頼まないとできないでしょ。
 「それに帝国の後宮では、なおさら勝手が違いますし」
  アドバイスくれる人が欲しいなあ。
  できれば親切で、経験豊富で、権力争いとか無縁そうな優秀な人。
 「……お前がそう言うんなら必要なんでしょうけど」
 「なんです?」
 「人が増えるのはいやだわ……」
  と、言われても。
  サフィニアは本当に憂鬱そうな顔をした。
  別に人嫌いなわけではないが、大勢に傅かれるのは窮屈で息が詰まるのだそうだ。サラが侍女にして
 はあまりに砕けた態度をとっても咎められないうえに、傍に置きたがるのは、その辺の理由があるから
 だろう。
 「うーん」
  無いなら無いで、なんとかなるか……?
  ていうかその前に、後宮の人手を回してくれるんだろうか。普通、一国のお姫様の輿入れって、ぞろ
 りと侍女を連れているものな気がする。
  思い悩んでいると、涼やかな鈴の音が部屋に響いた。
  余韻を残して消える。
 「なに?」
 「誰か来たみたいですね。出てきます」
  これはトルージアでも覚えがある。来客を知らせる魔法で、貴族の家には大抵玄関などに施されてい
 るのだが、サラとしては魔法じゃなくてもノッカーつければいいじゃない、とか思ったことがある。
  まあ、庶民の家はそうなのだけど。
  貴族宅だと広いしね。
  しょうがないか。
  でもどうせならインターホンみたいに、こっちからも返事ができるような機能を開発してくれればい
 いのに。
  広いと対応に出るのも、いちいち面倒なのだ。
 「お待たせしました」
  誰、ていうか何の用? と思いつつドアを引き、サラは一瞬停止した。
  一様に、頭を下げる女の人がずらり。
  ――とりあえず、
 「お入りください」
  ドアを開け、彼女たちを通す。
  無駄口を一切叩かない、躾を徹底された所作。
  それぞれ華やかなドレスをまとっているが、おそらくサフィニアのために用意された侍女だろう。ド
 アから入ってすぐの部屋に待たせておいて、急いでサフィニアのところに戻る。
 「誰?」
 「帝国が用意してくれた侍女たちです。通していいですか?」
  鷹揚に頷くので、サラはドアを開いた。
  視界の端で、サフィニアが億劫そうに身を起こして外面をはりつける。
 「どうぞ」
  ぞろぞろと入ってくる侍女たちに、サフィニアがげんなりしていくのが分かった。
  たしかに、ちょっと多すぎだ。
  それとも後宮にいる妾妃たちはこれくらいが普通なんだろうか。
  年齢に多少のばらつきはあるものの、総じて若い女ばかり。そのなかで、一人だけ中年の女性がいた。
 四十過ぎくらいだろうか、ドレスは落ち着いたもので、ふっくらしていたが少々厳格そうな教師めいた
 雰囲気をしている。
  失礼だが、一人だけとうが立っているのでちょっと目立つ。
  そんなことをサラの隣に控えて思っていると、先頭に立った女性――サラより少し年上のようだが、
 派手な化粧のせいでそう見えるのかもしれない――が、腰を折った。
  すると、後ろの侍女たちも一斉に頭を下げる。
  うーん、実力者なんだろうか。
  すでに派閥ができあがっているようだ。
 「お目にかかれて光栄に存じます。ただいまよりサフィニアさまにお仕えさせていただくよう言い付か
 って参りました」
  初っ端から名前呼び。
  ああ、でも、クレアもそうだったか。
  普通は親しい者以外は敬称で呼ぶものだけど、ここでは「妾妃さま」は複数いるから区別のためにも
 名前呼びが慣例なのかもしれない。
 「ええ、よろしくお願いするわ」
  簡素な返事。
  萎えきってますね、気力が。
  案の定、サフィニアはさっさと立ち上がった。向かう先は寝室だ。散々嫌そうな顔をしていたくせに。
 「申し訳ないけど、疲れているの。一人にさせてちょうだい」
 「かしこまりました」
  とは、サラの返事。
  背後で彼女たちが頭を下げる。
 「サラもここでいいわ」
 「はい」
  と、頷くものの。
  ドアを開けながら小声で非難する。
 「丸投げですか、サフィニアさま」
 「だって無理。鬱陶しい」
  そんなのサラだって同じだ。
  不満顔をするサラに、サフィニアは指を二本立ててみせた。
 「いい、二人までよ」
 「……かしこまりました」
  りょーかいですよ、やればいいんでしょう。
  お仕事ですからね。
  サラの恨めしげな視線など物ともせずに、サフィニアはもっともらしいことを言って寝室にこもって
 しまった。
  面倒くさい人事を、サラに押し付けて。
 「……」
  やだなぁ。
  静かに溜め息を吐いて、くるりと振り返る。と、十人ほどの若い娘たちの視線が真っ向からサラに集
 中した。
  ――だから嫌だったんだよ!
  どの侍女も、まあ、言ってしまえばサラより数倍美しく、華やかなドレスを着て、きっちり化粧まで
 している。身に着けているアクセサリーも、うん、キラキラしいと言いますか。
  そして顔に浮かぶ表情は、宮仕えの身としては心配になるくらい正直だ。
  彼女たちは瞬時にサラを「格下」だと判断したらしい。
  逃げたい。
  確実に貧乏くじをひかされている。
 「――サフィニアさまは」
  例の、リーダー格らしい彼女が口を開こうとした気配を感じて、サラは遮るように言った。先制攻撃
 というか。
  この手のタイプは喋らせる前にやっつけてしまうに限る。
  あからさまにムカっとした顔をされたが、気にしない。
 「慣れない後宮ですでに体調を崩されておいでです」
  いや、そんなに繊細じゃないけどね。
 「ですので、お集まりいただいて非常にお心強くお思いですが――サフィニアさまは静養をお望みです」
  迂遠に迂遠に。
  できるだけ遠まわしに。
  そう意識して言ってみたのだが、どうやら意図は伝わったらしい。そりゃあ、静かにしたいって言っ
 ているのだから、これだけ大人数がいたら煩わしかろう。常識的に。
 「で……」
  ではわたくしが、とか言い出そうとした彼女を、寸でで遮る。
 「申し訳ありませんが、わたし一人ではとても手が足りませんので、手伝っていただけますか」
  絶句、というのだろうか。
  彼女たちは唖然とした顔でサラを凝視した。
  ……あれ?
  まずかったかな。
  とはいえ、撤回なんかできないし。したくないし。
  申し出ようとした彼女を、サラは見ていない。侍女たちの視線も、サラにつられて振り返る。
 「――わたくしで、よろしいのでしょうか」
  想像通り、どっしりと威厳さえ感じさせる落ち着いた声音。
  最も年嵩の女性に、サラは急いで頷いた。だって誰かから反対されそうだったから。
 「ええ、ぜひお願いいたします」
  それと、
 「お隣の方も」
 「えっ?」
  思わず声が出たらしい。
  びっくり飛び上がったのは、サフィニアよりも年下の少女だ。十四歳くらいだろうか?
  お仕着せの黒と白のコントラストがいかにも可愛らしいエプロンドレスを身に着けているところから
 見て、侍女見習いなのだろう。
  慌てて少女は腰を折った。野うさぎみたいにピョコンとした動作がかわいい。
 「はい、よろこんで!」
  どこかの飲み屋の店員の返事みたいだが、まあ、良しとしよう。礼儀作法に関しては、口出しするほ
 どサラもいいわけじゃないし。
  よし、じゃあさっさと後の皆さんには退場していただこう。
 「では、その他の皆様はお下がりいただいて結構です。以後、お手をお借りすることもあるかと思いま
 すが、一番にお心得いただきたいことは、サフィニアさまは大変繊細でいらっしゃいます。お心を安ら
 かに、お願いいたします」
  半分嘘だけど。
  つまり、煩わせるな、騒ぐなということだ。
  これだけは言っておかなければ。
  使用人問題で主を煩わせるようでは、侍女失格だ。
  ――というか、これでは結局サラが憎まれ役なのだけど。
  サラは心中で溜め息を吐く。
  しょうがない、お仕事だもんね。
  できるだけ遠回しに、やんわりと、と思ったが口に出すとどうもきつい気がする。それも、サフィニ
 アではないが、言ってしまったことは仕方ないか。
  どんな顔をされるか見たくもないし、見なくても分かっているので、サラは後は無言で膝を折った。
 言葉のない、退室の催促。
  暫しの間のあと、一応礼だけは返して、彼女たちは退室していった。
 「……」
  ただの必要事項だったのだが、プライドの高い彼女たちは屈辱と受け取ったかもしれない。これから
 の侍女生活が憂鬱になる。
  まあ、それは後で考えるとして。
 「改めまして、サラ・マルディンと申します。後宮に関しましては分からないことばかりですので、ど
 うぞご指導お願いいたします」
  現状、サフィニアの古株侍女とはいえ、後宮では新顔だ。
  特に年配の侍女は目上なので、しっかり挨拶しておかなければ。
  皺の刻まれた顔が、おっとりと笑んだ。笑うと意外に雰囲気が和らぐ。
 「ハンナ・パスバルと申します、サラさま。こちらこそ、よろしくお願い致します」
 「マーヤ・カサンドラです。見習いの身ですが、精一杯お仕えさせていただきます」
  それはサフィニアに言うべきなのだけど。
  とりあえず、サラは微笑んだ。
  よかった。うまくやっていけそうだ。
 「はい、よろしくお願いします。では、サフィニアをお呼びしますので、少々お待ちください」
  軽くノックしてドアを開ける。
 「……サフィニアさま」
  サフィニアはドアの間近に立っていた。
 「盗み聞きですか」
  思わず半眼になる。
 「いやね、自分に仕える侍女のことなんだから、気になるのは当然じゃない」
 「でしたらご自分で選ばれたらよかったじゃないですか」
  まったく。
  サフィニアはサラの介添えなく、気軽にドアをくぐると寛いだ様子で椅子に腰を降ろした。サラとサ
 フィニアのやりとりに呆気にとられていた二人に、にっこりと笑いかける。
 「これからよろしく、ハンナ、マーヤ」
  さすがに立ち直りの早いハンナが、年季を感じさせる仕草で礼をとる。マーヤは初々しかった。
 「至らぬ点もあるかと存じますが……」
 「そんなに畏まらないでちょうだい」
  サフィニアは首を傾げる。
 「本当なら、妾妃としてもっと人手を揃えるべきなんでしょうけど、サラが言ったように騒がしいのは
 好きじゃないの」
  というより、窮屈なのが嫌いなだけですよね。
  むしろサフィニア本人がいつも騒がしいというか、騒ぎを起こすというか。
 「だから、他の妾妃の方々よりあなたたちに負担をかけると思うけど、ごめんなさいね」
  きっぱりとした物言いに、ハンナが生真面目に返す。
 「いいえ、サフィニアさまのよろしいように御身の周りを整えるのが、わたくしたちの務めでございま
 すので。お気遣いありがとうございます」
  おお、侍女の鑑のような答えだな。
  サフィニアは女主人らしく艶やかに微笑んだ。
 「頼りにしているわ」
  少々猫をかぶっているが、初日から素をさらすわけにもいかない。信用できそうな人たちだが、数日
 は様子を見る必要があるだろう。
 「何か判断に困るようなことがあれば、サラに言ってちょうだい。大抵のことは任せてあるから」
 「はい、かしこまりました」
 「いいわね、サラ」
 「はい」
  いや、よくないですけど。
  また丸投げですか。
  まあ、新しい侍女の教育も、仕事のうちだけど。
  サラは渋々頷いた。
  しょうがないなあ……では早速。
  すでに時刻は夕暮れ、すべきことは山積みだ。
 「では夕食ですが、できればお一人で。給仕はわたしのみですが、可能でしょうか?」
  ハンナが頷く。
 「そのようにいたしましょう」
 「ありがとうございます。その後の湯浴みはお手伝いいただけると助かります。荷物の整理は明日いた
 しましょう。サフィニアさまもご覧になりますよね?」
 「そうね、そうするわ」
 「では、湯浴みの準備のときにお呼びしますので」
 「はい」
 「失礼いたします」
  一通り予定を確認すると、ハンナとマーヤは連れ立って出て行った。

  途端、サラは大きく嘆息する。
 「……勘弁してくださいよ」
 「ご苦労だったわね」
  ええもう、大変ですよ。主に、これからが。
 「サフィニアさまが好き嫌いするから」
 「お前だって、あんなのと一緒に仕事したくないでしょうが」
 「それはそうですけど」
  あんなの、の心当たりが多すぎる。
 「それで」
 「はい?」
  サラは顔をあげる。
  サフィニアは面白がるような笑みを浮かべて、サラを見ていた。
 「あの二人を選んだわけは?」
 「ああ、はい」
  一応主人に説明の義務があるか。
  隠したいわけでもないし。
 「帝国は当然ですけどトルージアと慣習なり違うでしょうし、ましてや後宮の決まりごととか多そうで
 しょう。一々尋ねられる人が近くにいないと、困ります。サフィニアさまに恥をかかせるわけにいきま
 せんから。それで、経験豊富で口が固そうな人――で、ハンナさんです」
  間違いなく、あのなかで侍女歴長そうだし。
 「マーヤは?」
 「可愛かったので」
  きっぱり、即答だった。
 「……それだけ?」
 「好みだったので」
  サフィニアが思い切り胡乱そうな目をする。
  いかん、誤解を与えただろうか。
  でも、あの子は本当に可愛らしかった。
  光りにとけそうな淡い金髪で、大人しめのメイド服みたいなお仕着せがよく似合っていた。日本の某
 聖地で大量生産されていたような安っぽい生地でもいかがわしいデザインでもなく、いかにも行儀見習
 い的な雰囲気が初々しい一品だ。しかも特に、強調するようなものではないが、フリルとレースと細か
 い釦が慎ましく少女らしさを彩る胸元が、完璧だった。
  そしてその中身は巨乳だった。
  ふわっふわの巨乳。
  で、美少女。
  もう言うことはない。
 「ご主人様って呼んでほしい……」
  あ、つい願望が。
 「お前って――変わってるわよね」
  失礼な。
 「サフィニアさまに言われたくないですよ」
  ちょっと撫でくりまわしたいとか思っただけなのに。

マーヤは私の趣味です(爽やかに言い切った!)
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