これが人災ってやつですか?

  帝国への輿入れが決まってから、人がサフィニアにかける言葉はそれぞれ。
  おめでとうございます。
  めでたいですね。
  お可哀相に。
  そのどれもがこれまでとは違った対応を向けてきたのに、サフィニアが一番身近に置きたがる侍女は、
 ただ一言「大丈夫ですか」と聞いた。
  これまでと同じように。
  刺繍針で指を刺したときのように。
  二年前、とある縁で知り合ったサラは満足に喋れもしなかった。まるで幼子のように拙い言葉を操っ
 て、とても王宮にあがるなんてできそうもないことは明白だったにもかかわらず、我が儘を貫いてサラ 
 を近くに上げたのは、こういうときのためだったのかもしれない。
  自慢ではないが、サフィニアは顔がいい。
  美しい、と言われる女のなかでも特上の部類に入るだろう。
  それは小さい頃から変わらない。
  だから、同年代の子供は一人もいなかった。侍女も、騎士も、貴族の子女も。
  居たは居たけれど、サフィニアが心を許すことはなかったし許されることもなかった。それではいな
 いのと同じだ。
  女はサフィニアの美貌と生まれに嫉妬したし、男は父や乳母が遠ざけた。
  だから、サラはサフィニアの初めて親しくした歳の近い娘だ。
  新鮮だった。
  彼女は遠い国の出身だという。
  だからか、サフィニアに阿ることはなかった。嫉妬もなかった。羨望すら。
  親しくしたいと思えば、応えるように近づいてくれた。
  友人ではないかもしれない。あくまで、侍女と主の立場をサラは崩そうとしない。そのわりには慇懃
 な対応が多いけれど。
  でも、サラも同年代で一番仲のいいのは自分だと言ってくれた。
  嬉しかった。
  とりあえず、サフィニアはサラの特別で、サラはサフィニアの特別なのだ。

  ――だからこそ、サフィニアはある程度サラを理解できていると言い切れる。

 「ついてきなさい!」
  言い放ったサフィニアに、サラは即答した。
 「いやです」
  まあ、そう言うとは思っていたけれど。いたけれど!
  こういうときは、仮にも侍女なら「地の果てまでも」と返すところじゃないかしら。
  腹が立ったのもしょうがないと思うのよ。
  だいたい、自分が後宮に相応しくないと言いながら、それは建前だとありありと顔に書いてある。一
 目瞭然。
  怖いし面倒だし絶対嫌、って書いてある。
  そんなところにサフィニアは行かなければならないのに。
  まさか一人で放り出すつもりなの?
  逃げるつもりなのね?
  きわめつけに、この台詞。
 「微力ながら、遠いこの地で殿下の幸運をお祈りしております」
  ええそうね、腸が煮えくり返ったわよ。
  思い切り神経を逆撫でしてくれたわね。
  そのつもりならそれでいいのよ?
  でも絶対、一人で逃げるのは許さないから。
  サフィニアは、何がなんでも巻き込むことを決意した。

  ……とはいえ、本当に行きたくないのなら無理強いしたのは悪魔の所業だ。
  頭に血がのぼっていたとはいえ、無体をした自覚はある。というか、全て万事ぬかりなく行ったあと
 に、冷静になったというか。
  サフィニアは拗ねたように唇をとがらせた。
 「……悪かったわよ」
 「もっと真剣に謝ってくださいよ」
  サラは嘆息した。
  出逢ってから二年、少女だったサラは成熟した娘になった。
  黒髪は編みこんで結い上げ、首筋には後れ毛ひとつない。小柄な体躯は肉付きが薄く、女らしい丸み
 はまるでないくせに、彼女独特の落ちついた仕草で決して子供には見えない。黄がかった象牙色の肌は
 見たことがなくて珍しい。顔立ちは平凡で取り立てて特筆するところはない。でも茶色の瞳はいつも真
 っ直ぐサフィニアに向く。
  清楚といえば聞こえはいいが、地味で平凡。だけど――――…。
  変な子。
  そう思う。
  でも不快ではないのだ。
  むう、とサフィニアは呆れ顔のサラを座ったまま上目で見た。
 「――本当に行くのが嫌なら、父さまに取り消してもらうわ」
  それは一種、挑発ではあった。
  素直になれないサフィニアを分かっているのか、どうか。
 「……殿下」
  額を押さえて、サラは再び溜め息を吐く。
  ふ、と口元が苦笑した。
 「まあ、別にいいですけど」
 「……いいの?」
  二歳年上の侍女は困ったように眉根を下げた。
 「本当は殿下のことが心配だったんです。なので、ちょっとホッとしました」
  それがあまりにも慈しむ表情だったので。
  かあ、とサフィニアは顔を染めた。
 「殿下?」
 「なんでもないわ!」
  慌ててサフィニアは俯く。もちろん、赤くなった顔を見られないためだ。
  いやだわ、本当にいや。
  サラはこういうところがある。
  正直、滅多に怒らないサラだけど今度こそは腹を立てるかもしれないと思っていたから、ほっとした
 けれど。
  なによ、たった二歳なのに大人ぶっちゃって。
  サフィニアはいつもの調子を取り戻そうと、つんと顎をあげた。
 「なら、決まりよ。ちゃんとついて来なさい」
 「しょうがないですから、お供いたします」
  その返事はちょっと不満だ。
  サラは完璧な所作で優雅に腰を折った。
  美しい一礼だけど、やっぱりどこか慇懃に見えるのはなんでかしらね。
  とはいえ、そうと決まれば。
 「まずは作戦会議よ」
 「作戦ですか?」
 「ええ、丸腰で乗り込むわけにいかないもの」
  ただ諾々と従っていればいい場所ではないだろう。それくらいは世間知らずな小娘でも察しはつく。
 ぼんやりしていたら、たちまち食い殺されてしまうかもしれない。
  皇帝の寵は興味ない、というかいらないけど、死にたくないなら努力すべきだ。
  サフィニアはほっそりした指をなめらかな頬に添え、考え込んだ。
 「どうせ父さまが調査させてるでしょうから、調査書を提出させましょう。力関係、縁戚、分かるもの
  はすべて知っておきたいわ」
 「かしこまりました。では、使者の方たちと会談されますか?」
 「使者?」
 「はい、なんでも皇帝陛下に近しい方らしいですよ。お一人は、陛下の近衛騎士隊長の、部下なのだと
 か」
 「……詳しいわね」
 「この程度では詳しいなんて言えません。若い侍女はもっと事情通ですよ」
  サラも充分若いということは置いておいて。
  噂話で仕入れた情報か。
 「ふぅん……そうね、会いましょうか」
 「はい」
  サフィニアは立ち上がる。
  今日はこれから諸貴族夫人を集めて茶会を開かねばならない。ドレスを変えて、手配した席順を確認
 して……やらなければいけないことは余る程ある。
 「なんにせよ、情報がほしいわ。なんて言ったかしら、以前、お前の国の格言で……」
 「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず――でしょうか?」
 「それよ」
  サフィニアは深く頷く。
  輿入れまでの三月を有効に使わなければならない。
  腹は決まった。

ちょっと番外編
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