王城の門の前、豪奢な屋根なしの馬車を前にサラはサフィニアを待っていた。 ……鬱陶しい。 サフィニアが乗る馬車の前には帝国の騎馬隊がずらり。そして後ろにも、ずらり。ちらほら馬車があ るのはサフィニアの荷物とか花嫁道具とか乗っているからだ。 馬車を警護するのは、トルージアの騎士。 行列全体と新たな妾妃を守るのは、帝国の騎士。 面子と体裁を整えるのも大変だったでしょうねえ。 それにしたってむさくるしい。夏なのに。 サフィニアのための日傘だけを手に待っていると、城の方からゆったりとした足取りで近づいてくる 少年を見つけた。 サラは首を傾げる。 「ご挨拶はよろしいのですか?」 「きのうしたからね。姉離れはすませてるよ」 苦笑する彼の髪は姉君と同じく、輝く銀色。面立ちもよく似通って少女めいているけれど、瞳の色だ けは淡い緑色だった。 エディアルド・シルフ・エル・トルージア。 トルージアの王太子殿下だ。 御年十四の彼はサラより余程落ち着いて堂々としていた。帝国の騎士が静かにこちらを注視するなか、 おっとりと笑う。 柔和な微笑みはまさしく天使。……中身が伴うとは限らないけど。 サラよりも幾分か低い位置から、エディアルドが見上げてくる。 「姉さんがごめんね、サラ。本当は君以外にも供をつけるはずだったんだけど」 「いいえ、殿下のお心遣いですので」 当初、サラの他に侍女も騎士もつれていく予定だった。 だがまあ、苦労かけるのが分かっているので連れて行くのも心苦しいし、そもそもすんなり帝国へ伴 える者もいなかったのだ。 侍女はたいてい結婚しているし、後宮に入れば夫と子供に会うことも叶わなくなる。未婚の娘は親が 手放したがらないし、婚期を逃すことになるだろう。騎士は連れて行っても後宮内に入れないので、帝 国の騎士団で居心地悪い思いをするに違いない。 となれば、サフィニアが供を希望するはずがない。 「わたしはこれで良かったと思います」 後から文句言われてもうるさいし。 言えば、エディアルドは嘆息した。 「君がいいなら、いいけど。心配だなぁ」 きょとん、とサラは瞬く。 「殿下がですか?」 「姉さんもそうだけど、君も」 はあ? と問い返すのは無作法なのでしないけれども。 苦笑を浮かべた淡い緑色の目が見あげてくる。 「ぼくが君に会ったのは十二のときだけど、そのころから二人そろったら碌なことにならないから……」 うん、どう思われていたか今わかった。 確かに、貴族の令嬢らしく大人しかったわけではないけど。 「でも後宮ですよ? そんな場所でエディアルド殿下が言うようなたいそうなこと、できないでしょう」 するつもりもないんだけど。 「だといいんだけどね……」 えええ、信用ないな、わたしたち。 話題を変えよう。 「殿下と陛下方は……」 「うん、さすがに離れ難いみたい」 でしょうねぇ。 愁嘆場がおそろしくて、サフィニアに付き添わずこんなところで待っているのだけど。 泣かれたら化粧直しが大変なんだけどなー。いや、侍女になってからかなりのスキルアップを余儀な くされたけど。 でもそろそろ時間なのでは。 「……ああ、来たね」 エディアルドがふいに振り返る。 遠く、陛下と王妃に挟まれるようにしてサフィニアがいた。遠目にも背筋はしゃんと伸びている。あ れなら大丈夫だろう。 「さすが姉さん」 小さな賛辞に、サラも笑みを返す。 「サラ、あっちに行ったら手紙書いてくれる?」 「わたしがですか?」 エディアルドは悪戯めいた笑みを閃かせた。 「姉さんが書くと思う?」 「……ですね」 筆不精なサフィニアのことだ。予想は簡単につく。 「ご希望にそえるよう、頑張ります」 一国の王太子が、他国に嫁にいく姉の侍女に要求する手紙が、ただの近況報告であるはずがない。サ フィニアも必要があれば書くだろうが、妾妃が実家に送る手紙と一介の侍女が書く手紙では警戒度が違 うだろう。 うまくいくかは別として、サラは大人しく頷いた。 「よろしく」 エディアルドは満足げに笑った。 「……それと」 「はい」 「苦労かけるけど、姉さんをよろしく」 「はい」 サラが頷いたのを見届けて、エディアルドは軽やかに踏み出した。サフィニアをエスコートするのだ ろう。 彼らが帝国行きの馬車に辿り着くまで、サラは深く頭を下げて、待った。 さすがに赤くなった目で、サフィニアが母の手を握っている。 すでに馬車の上から見下ろす人々、陛下、王妃、エディアルド殿下も笑みを浮かべながら神妙な顔を していた。 「では、行って参ります」 「元気でね」 それが精一杯のように、ハンナ王妃が涙ぐむ。 後ろに控えているのでサフィニアの顔はわからない。けれど笑ったのではないかと思う。 「父さまと母さまも、お元気で。エド、しっかりね」 「姉さんも」 ひらり、エディアルドが手を振る。 陛下がサラの隣に控えている帝国の騎士に目をやった。彼はこれから帝都までずっと護衛してくれる のだそうだ。 「娘を頼む」 「お任せください」 短い言葉は力強く、信頼に足りる誠実さがあった。 「サラ」 寄越された視線にサラは侍女らしく腰を折る。 「心得ております」 下げた頭の向こうで王が頷くのが分かった。 ふ、と振り切るような吐息。 サフィニアが体を起こす。王妃と繋いだ手が、離れた。 「じゃあね、行って来るわ!」 最後はサフィニアらしく。 すっきりと背を伸ばして、見惚れるような笑顔で大きく手を振る。 それを合図に、出立の喇叭が晴天の下響き渡った。 そんなふうに出発して、はや数刻。 すでにサフィニアの機嫌は地に落ちていた。 今日ばかりは花嫁衣裳のままで街中と街道を進むのだが、どこまで行っても人、人、人。休まる暇が ない。 「――サラ」 低音で呼ばれる。 顔だけは微笑んだままだ。 皆までいわせずサラは首を振った。 「我慢してください。あともう少しですから」 何時間も愛想を振りまいたままなのだから疲れるのも当たり前なのだけど。それだけトルージア国民 に愛されている証拠だ。 それになにより、これは公務だし。 しかも、別にサフィニアだけが我慢しているわけじゃない。 花嫁に付き添う侍女が仏頂面をしているわけにもいかないので、サラだって頑張って微笑をはりつけ ている。 滅多にお愛想しないので、正直辛くてしょうがない。 「お二方、あと少しで休憩ですので辛抱してください」 爽やかな笑顔が向けられる。 花嫁を守る騎士だって勿論、見目よく愛想良くなければならない。イメージって大事だ。 彼はまったく疲労していないように見える。 タキ・ステルセン。 藁のような明るい金髪を刈り込み、青い目をした、人の好さそうな美丈夫だ。 後宮入りの申し入れに訪れた使者団のなかの一人で、皇帝のおぼえもめでたく、花嫁を迎えにきたの だという。というのも、侍女たちの噂話から仕入れたネタだが。 青い騎士服をきっちりと着こなした彼の腰には、大剣が下がっていた。 サフィニアが外面用の笑みを浮かべたまま、タキに向き直る。 「この調子で帝都まで行かねばなりませんの?」 暗に「そんなことないわよねぇ」という不満を滲ませるサフィニアに、タキは苦笑する。 「いえ、町によってはこちらの馬車に乗って姿を見せていただきますが、お疲れでしたら後ろの馬車に 移動されて結構です」 後ろの馬車、とサラは背後に視線を向けた。 なるほど、これみたいに天井がないやつじゃなくて、豪華だけど普通の馬車だ。窓はあるけど、開け ない限り外から中は見れない。 サラは陽があたらないように、サフィニアにかざしている日傘を持ち直した。 何時間も持っているのでもう手がだるい。 「ただ今日は、お輿入れの日ですので――申し訳ありませんが、こちらにおいでいただきます」 「そう」 サフィニアはつんと顎を反らした。 サラは従順に、大人しく、表情を変えない。 ――基本的な作戦は、こうだ。 多少我が儘だが、しかし害のない王女を演じる。 相手を油断させておきたいからだそうだけど、別に演技でもなんでもないんじゃないか。だって、普 段からそんなかんじだ。自覚がないのか。 という感想には口を噤んでおくが、とにかくサフィニアの言いたいことは分かった。 頭の軽い、馬鹿で御し易そうな王女だと思わせたいのだ。 サフィニアたちの持つ武器は多くない。ならばまず、油断させて侮らせる。サフィニアがそう決めた。 ではサラは、従うだけだ。 主に従順な地味な侍女を装って、息をひそめる。 すでに戦いは始まっていた。 困ったような笑顔で眉を下げる騎士を視界の端にとらえ、サラは目を伏せた。 |