帝都への旅は順調といえた。
  夏なので多少の暑さは仕方ないとして、休憩はマメにとらせてもらえるし、馬車の外へ出ても文句な
 ど言われない。
  サラとサフィニアは、想像以上に快適な旅程にあった。
  ――タキその他の騎士はどうか、知らないが。
  戻ってきたタキに、サラはいい子ぶりっこな控えめ微笑を向けた。
 「申し訳ありません、タキさま」
 「いいえ、主の大切な方の願いを叶えるのも騎士の務めですから」
 「まあ」
  おお、百点満点な答え!
  思いつつ、サラはおっとりと礼を述べ、彼から箱を受け取った。平べったく、少し大きめの箱。中か
 らはふんわりといい匂いがする。
  開ければ、素晴らしい宝石のような菓子が小奇麗におさまっていた。
 「では、お茶をいれますね。よろしければタキさまもどうぞ」
  窺うように、タキは芝生に腰をおろすサフィニアを見た。
 「構わないわ」
  高飛車な返事に、タキは苦笑する。
 「では、失礼します」
  芝生に大きな布を敷き、クッションを集めて優雅に腰を降ろしたサフィニアから少し離れて、タキの
 長身が座る。夏の陽射しを、大きな木の枝が優しく遮ってくれていた。
  演技は続行中なのでサフィニアはつんつんとタキに関心などないふうに振舞う。実際、あまり興味も
 ないのだろうけど。
  サラの仕事はサフィニアのフォローだ。
  茶の用意をしながら、口を開く。
 「お手数をおかけしました、タキさま。お持ちくださった騎士さまにも、お伝えいただけますか?」
 「ええ、部下も喜ぶでしょう」
  そうだといいけど。
  使いっ走りにされて不満たっぷりなんじゃないだろうか。
  ――事はこうだ。
  王女は輿入れの最中、とある街を通過した。その街にはたいそう有名な菓子店があって、わがまま王
 女はその店の菓子をご所望したのだ。
  行列を止めることはなかったが、次の休憩までにはとタキが約束して、こうして騎士が買い求めてき
 てくれたのだけど。
 「言ってみるものね」
  ぼそり、表情を変えずにサフィニアが小声で言う。
 「ですよね。ダメって言われるかと思ってました」
  それにサラもタキに聞こえないように応じた。
  微笑みながら小声で会話を交わす侍女と主は、他愛ない内緒話をしているように見えるだろう。
  扇を口にあて、サフィニアは可愛らしく小首を傾げる。
 「でもちょっと我が儘すぎたかしら?」
 「そんなことないんじゃないですか? このお菓子食べたかったんですよね。嬉しいです」
 「下調べしておいて良かったわよねぇ」
  本心から、サラはサフィニアと笑いあう。
  二つ先の町にも、焼き菓子が絶品と評判の店があるので、いまから楽しみだ。特産の果実でつくった
 ジュースも飲んでみたいし。
  サラは持参したカップをサフィニアに差しだし、次にタキにも手渡した。
 「宿で今朝いれたものですので、多少風味がとんでますが……ご容赦くださいね」
  その間、魔法瓶のような水筒に入れて冷やしておいた冷茶だ。これは魔法具ではなくて、単なる知恵
 アイテム。二重構造になっていて、外側に氷を入れ、内側に茶を入れて冷やす。溶ける氷を持ち運ぶの
 は無理なので、非常に重宝している。
  タキはからりと明るく首を振った。
 「いいえ、侍女殿がいれてくださるお茶はいつも美味しいですよ」
 「おそれいります」
  うーん、こんなイケメン顔で爽やかにそんなふうに褒められたら、大抵の女の子はころっと惚れるだ
 ろうなあ。個人的には、タイプではないので胸キュン程度ですんでいる。
  あれ、自分って意外と不毛で損な性分なのかしら。
  ここで惚れておけば、けっこう楽しく過ごせるだろうに。
  暫く考え、サラは思考を放り出した。
  ま、いいや。
 「どうぞ、殿下」
  買ってきてくれた菓子をわざわざ皿に乗せ、上品に盛り付ける。
  サラもサフィニアも、別に箱に入ったまま食べればいいと思うのだけど、演技中だし人目があるので
 面倒くさいながら体裁を取り繕っておく。
  あー、洗うの面倒なのに。
  本来なら王女つきの侍女は洗い物などしないが、というか貴族の令嬢なので出来ないはずだが、サフ
 ィニアについてきた侍女はサラ一人なのでやむをえない。城にいたころは、滅多な場合でもなければし
 なかったし、する機会もなかった。
  できないわけじゃないし、別にいいのだけど。
 「……いただきます」
  こればかりは、習慣になっていて直らない。小さく言って、しかし手を合わせることはせずにサラは
 艶々とした菓子をつまんだ。
  こちらの世界にも、チョコレートはある。嬉しい共通点だ。
  陽射しを受けて光るそれを、口に含み。
 「お……」
  いしい!
  思わず、サフィニアと顔を見合わせる。
  とろりと濃厚な甘みが舌を包み、何かの果物だろうか、微かに酸味がきいて絶妙に美味い。口元を手
 でおさえたまま、ふにゃりと笑み崩れる。
  タキがいるのは分かっているけど、だっておいしーい。
  何コレおいしーい!
  ああ幸せ。
  うん、やっぱワガママ言える立場にあって叶っちゃうんだから、言うべきだね! いいじゃないか、
 いいじゃないか、可愛いものだよこんなの。
 「お気に召されたようで、安心しました」
  男前な顔がにこりと笑う。
  あれ、いまもしかしてトゲがありました? 
  でもそんなの無視だ。
  だって演技中だもの。普段から気にするようなしおらしい性格か、という突っ込みは受け付けない。
  ツーンと顔を背け、でもそのわりにせっせと菓子を口に運んでは上機嫌になっていくという器用なサ
 フィニアの代わりに、サラはよそ行きの顔をつくる。
 「こちらこそ、無理をきいていただいて……騎士さまのお仕事ではありませんのに」
 「――いいえ、喜んでいただけて光栄ですよ」
  あれ、タキの声のトーンが下がった。
 「……サラ」
  ほとんど唇を動かさずに、虫の羽音より小さな声でサフィニアに窘められる。
  サラは視線を泳がせ、ちょっと考えた。
  ああ、うん、失敗したかもしれない。
  騎士の仕事じゃないってのを分かったうえで頼んでるんだって言っているようなものだった、かもし
 れない。
 「――…」
  でも、言っちゃったものは訂正しようがないし。
  いっか。
  結論を出して、タキににこりと笑みを向ける。微妙な空気は無視の方向で。
 「そろそろ出発でしょうか。その前にお茶をもう一杯いかがです?」
  タキは「えっ?」みたいな顔をして、サフィニアは嘆息した。


  はっきりいって、四六時中馬車のなかまでついて来られると気詰まりなんですが。
  とは勿論言い出せないので、大人しく黙っておく。
  パレード用でない馬車は、居心地よく調えられた贅沢空間だった。護衛の騎士さえいなければ。
  座席はふっかふかだし、クッションいっぱいだし、広いし、あんまり揺れないし。しかもどんな魔法
 がかけられているのか涼しかった。クーラーいらず。エコだね。上品で落ち着いたデザインなのも高評
 価。
  気を張っていても仕方ないので、王女の威厳と品性を損なわない程度に寛いだサフィニアが久しぶり
 に口を開いた。タキに向かって。
 「あと二日ほどで帝都だと伺ったのだけど」
 「はい」
 「もしかしてわたくしは、帝国のみなさんに歓迎されていないのかしら?」
  おおっと、切り込みましたね、殿下。
 「そんなことはありません」
  即座に否定するタキは優秀なんだろう。
  サフィニアは歳相応のかわいらしく高飛車な仕草で小首を傾げる。
 「でも、帝国に入ってからあまり外に出していただいていないわ」
  そう。
  休憩なら頻繁にとっている。
  けれど、いずれも人気のなく、見渡しのいい広い場所ばかり。それは必然的に街を通過してからとい
 うことになる。
  それに、トルージアではこれでもかというほど天井なしのパレード用馬車に乗って、幸せ花嫁アピー
 ルをしたというのに、帝国に入ってからはたった数度。それも、街に入ってから通過するまでではなく、
 馬車を止めて一瞬だけ姿を見せたにすぎない。
  帝国の国民の反応を見るに、ちゃんと新しい妾妃が後宮にはいるお触れはされているようだし、評判
 は悪くないようだ。きちんと歓迎ムードは受け取れたように思う。
  でも、昨晩サフィニアと話したのだ。
  貴族の屋敷に泊まっていない。
  都合よく王女が宿泊するに相応しい宿があるわけでなし、トルージアでも必然的にそうしてきた。け
 れど、帝国に入ってからは一度もない。
  無理にでも隊列を押し進めて、避けている節すらあった。
  余計な干渉を防ぎたいのか、新たな妾妃が貴族連中に嫌われているのか。
   それとも……、
 「他意は特にないのですが」
  人の好さそうな、それだけにサラはなんだか胡散臭く思ったけど、そんな笑顔で申し訳なさそうにタ
 キは頭を掻く。
 「随分お疲れのようでしたので、できるだけ寛いでいただきたいと思いまして。帝都までは長いですし、
 これから我が国にお住まいになるのですから、カルテガルドを嫌われると悲しいですからね」
  もっともらしい言い訳をつらつらと。
 「そう」
  一応、サフィニアは受け入れるようだ。
 「でもわたくし、こちらの方とまだお話しておりませんでしょう? ですから少し、心細くて。帝都に
 到着する前に、そういった機会はあるのかしら」
  いっそうタキの笑みが深まる。心中は間逆の心境に違いない。
  うん、これは腹立つだろうけど。
  サフィニアは別に帝国に人間と話していないわけはない。だって目の前にタキがいる。だけど、あえ
 てそう言うってことは、貴族以外は眼中にないってことで、だから誰かと会わせろってことだ。
  性格悪いなあ、殿下。
  とか思いつつ、タキの反応を窺って、心中でにやにやする。
  サラだってとりたてて性格がいいとはいえない。むしろ多少根性がひねくれてると言えよう。だから、
 サフィニアの意地悪に耐える爽やか胡散臭い騎士の様子は、ちょっと面白い。
  ……誰にも言わないけど。
 「申し訳ありませんが」
  やんわりと、でもこれまでになく断固とした口調。
 「陛下のご意向ですし、妾妃さまの御身の安全のため、それは難しいでしょう」
 「……あら、残念」
  いかにもがっかりしたふうに扇で隠した顔半分の下で、サフィニアが舌を出す。ばっちり見た。
 「そう、陛下の……だったら、仕方ないわね」
  ちらり、サフィニアとサラは目線を交わす。
  新しい皇帝の妾妃を貴族と会わせない理由。

  ――それは、もしくは、皇帝が貴族を敵とみなしているからか。
 
サラはあんま頭よくないので、小難しいこと考えてるのは全部サフィニアです
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