初対面の印象って大切ですよね


  夏の残暑も厳しいこの季節、旅路にあって一日中外にいるのは少々辛い。
  彼の海の宝石と謳われるトルージア王国はいま以上に暑かった。帝都まで行けば、これも多少はマシ
 になるだろう。
  外で隊列を組んでいる部下たちを気の毒に思いながら、しかし涼しい馬車のなかに常駐できるのは助
 かる。
  ――この二人さえいなければ。
  というのは本末転倒か、とタキは心中で首を振った。
  視界の端で、無視しきれぬほど輝く少女は、これからタキの主の妃になる。どんな宝石も褪せるほど
 の見事な銀髪は長く、丁寧に手入れがされていて、今日は美しく結い上げられている。彼女が髪を結っ
 ているのは珍しい。どうやら、背に流す方がお好みらしかった。
  頬はまろく、小さな鼻は行儀よくおさまり、艶やかな赤い唇は果物のように瑞々しい。
  サフィニア・シルフ・エル・トルージアは、大陸一の都と誉れ高い帝都で育ったタキですら見たこと
 のない、美しい少女だった。
  使者としてトルージアを訪れ、初めて目にしたときには不覚にも見惚れ、驚いたものだ。
  ただ。
  その美しい顔に浮かぶ表情は、はっきりいって、いけすかない。
  晴れわたった蒼穹のような明るい青い瞳は綺麗だが、タキに向けられるそれに好意はなく、微量の興
 味と僅かな警戒、忌避感――つまり、遠くから野良犬を見るような目つきに酷似していた。
  王女の侍女も似たようなものだ。
  一言でいうならば、地味。もしくは、平凡。
  特出したところが本当にないように見える。
  黒髪は後れ毛ひとつなくきっちりと結い上げ、髪飾りも控えめで目立たない。添え物程度だ。身につ
 けるドレスも、どれもこれも淡い色合いのもので、一番派手なものは藍色だったが、けれど色が濃いだ
 けでかえって余計地味にみえた。
  サラ・マルディンといって、トルージアではそこそこ有力な伯爵の令嬢だという話だが、本当だろう
 か。
  彼女は王女ほど、タキに向ける感情は悪くない、と思う。
  王女よりも興味は多分に含まれている。警戒はある。嫌悪はない。
  けれど、好意もまた、ない。
  彼女と初めて会ったとき、「物珍しいものを見た」という顔をされたのは思い違いではないだろう。
 一応、それなりに見目は良いので令嬢方に人気はあるのだが、年頃の娘にそんな表情をされたのは初め
 てだった。
  トルージアの王都を出発してから四日、いまだにタキは二人の娘をはかりかねていた。
 「サラ、何か話しなさい」
  またか。
  彼女たちと行動するようになってから、この命令をもう何度も聞いた。
  タキは侍女を見ると、彼女は嫌がるでもなく素直に首を傾げた。
 「何か……ご希望はありますか?」
  王女は白くたおやかな指を口元にあて、少しだけ考えた。
 「そうね、あれがいいわ。ゲンジ物語というやつ」
  タキは馬車の隅に大人しく控えたまま、内心で首をひねる。
  聞いたこともない題名だ。
  それとも、トルージアの娘たちの間では流行っているのだろうか。
 「はい、では今日は『雨夜の品定め』のおはなしを」
  そう前置きをして、侍女は話し出した。
  タキにはよく分からない単語が、多い頻度で出てくる。『モノイミ』だとか『チュウジョウ』だとか。
 王女は分かっているようなのでトルージアではよく話される物語なのだろうか。しかし、そのわりには
 要所要所で侍女は短い説明を挟んでいく。
  それはどうやら、貴族の子息たちが集まって理想――というか、どういう女性が相手として妻として
 相応しく、また過不足なく楽しめるか、という王女や令嬢にしては些か下世話な話題のようだった。
  なるほど、それで『品定め』と。
  驚くべきはそれなりに的を得ているということだ。
  話し疲れたのか、侍女は一息ついた。
 「つまり、まとめますと、上流階級よりも中流階級の女性の方が妻にするには良いのではないか、とい
 っているんですね。上流階級の女性は普段からかしずかれているので自然に品よくふるまえるようにな
 りますし、そもそも、そう育てられています」
 「だから、そう躾けられていない女の方が個性が見えてきて面白いというわけね」
 「はい。まあ、上流中流にかかわらず、こういう女性が妻として相応しいという感がありますが」
  そこで侍女は苦笑を浮かべた。
 「いわく、最初はひかえめなのに、少し知り合えば途端に大胆になるのは興ざめである。情緒的なのは
 良いことですが、それがすぎるとうっとうしい。かといって実用的、現実的すぎるのも趣きがなく、子
 供っぽくて素直なのもかわいらしいけれど、生涯の妻とするには頼りない」
  あからさまに王女の眉間に皺が寄る。
 「ずいぶん勝手ね。腹が立つわ」
 「ですよね」
  そうでしょう! と言いたげに、侍女が頷いた。
  タキは意見を求められなかったので黙しておく。
  心中でいくら、物語の子息たちの言うことに同感していても。
 「個人的に適当に総合しますと、身分ではなく、容貌ではなく、性格がまあそれなりに良くて、現実的
 で落ち着いた人が生涯の伴侶に相応しいってかんじです。さらに才能と気遣いがあれば言うことなしで
 すが、少々足りなくても問題ないってところでしょうか」
  そこで侍女は徐々に憤慨の度合いを強めていく王女に、悪戯っぽく笑った。
 「殿下はもっと怒ると思いますけど、こんなことも言ってますよ」
 「なによ」
  噛み付くように王女は顔をしかめた。
  侍女は怯まず、
 「いわく、男のちょっとした浮気心にすぐ嫉妬するのは愚かなことで、妻を大事に思っているのは本当
 なのだから咎めると関係が悪化する。それよりも、恨み言もいわずひかえめにしていれば、可愛げも感
 じるものである。男の心は妻のありようで落ち着くものだから。……でも、放任されるのは気楽だけど、
 引きとめないのは軽い女に感じられる。なぜなら、繋がない船はうつろうものである」
  うわ、とタキは常の笑顔を心がけながら、内心で感嘆した。
  これほど身勝手な主張もないが、かといって否定するには難しすぎた。
  言葉ばかりを求められるのも鬱陶しいし、美しい女に目がいくのは男の性だ。かしましく嫉妬される
 のは執着が強くて疲れるが、かといって無関心でいられるのも興がさめる。頭の弱い女はお断りだが、
 賢すぎても鼻につく。
  だってそういうものだろう?
 「どうです?」
 「男ってみんな、そうなのかしら?」
  非常に苛立った王女の険のある視線がちらりとこちらに向いて、タキは反射的に笑顔を返した。ら、
 鼻で嗤われた。
  うーん、バレてる。
  タキは若干肩身の狭い思いで視線を泳がせた。
  くすくすとタキをおかしげに見て侍女が笑う。
 「でも、殿下、これ書いたのって女性なんですよ。おもしろいと思いません?」
  王女は真っ青な瞳を丸くした。
 「おもしろい?」
  王女はそこに驚いたようだが、タキはその話を女がつくったというところに驚愕する。
  これを?
  女が?
  侍女は、ぴんと指を立てた。
 「だって、著者は男がどういうふうに女のことを思っているか、知っていたんですよ。それにこれって、
 男性から見た理想像ですけど、女性から見た男性に関しても同じことが言えると思いませんか?」
 「……ああ、そうね」
  王女はしばらく考えてから納得したように頷いた。
 「この話は結局のところ、家のことをちゃんと守れる女性が良い妻だといいたいので、わたしの解釈だ
 とちょっと論点がずれるんですが……教養があって、現実的で仕事ができて、嫉妬深くなくて包容力が
 あって、でもちゃんと自分を想ってくれていることを示してくれる男性って――理想じゃありません?」
  ここでようやく、王女の表情がやわらいだ。
  青い瞳が侍女のように楽しげに煌く。
 「そうね、そう思うとちょっと痛快ね」
 「小気味いいですよね」
  王女と侍女は顔を寄せ合って、くすくすと笑い転げた。
  ――なるほど。
  二人はとても、仲がいいらしい。
  わからないものだな。
  タキは気付かれないように、二人を観察する。
  侍女のサラ・マルディンは王女と正反対の性格をしているように見えた。
  基本的に控えめでしとやか、しおらしい。侍女らしく王女の意図をよく汲み取って仕えているようだ
 し、タキのような騎士にも敬意を払っているように見える……一見。
  いや、礼も振る舞いも侍女として完璧だし、無礼をされている覚えもないのだが、妙に慇懃な雰囲気
 が拭えないのだ。
  だからといって、咎めるほどのものではないし、勘違いだろうと思えるほど曖昧なものだった。
  サフィニア王女は、年頃のわがままな王女らしい振る舞いを隠そうともしない。
  気品はさすがに一国の王女と感じずをえないものだが、それだけだ。
  多少、そこらの貴族よりも仕草や雰囲気が上等だからといって、剣を捧げる気にはならない。
  ありていに言えば、正妃の器ではない。忠誠心はわいてこなかった。
  ……まあ、それで構わない。
  タキは内心で皮肉げに嗤う。
  敬愛する主は、いずれ彼自身が正妃に相応しいと思うような女を妻に据えるだろう。侍女の語った妻
 の条件とは多少ならず異なるだろうが、主が認めるならタキたちだって忠誠を尽くすに余りある女性に
 違いない。
  ただそれは、この王女ではない。
  ――ではタキのとる行動はひとつだ。
  適当に、余計に刺激せずにあしらえばいい。
  主にとってこの妾妃は、とるに足らぬ女になるだろう。
 
はい、エセ爽やか騎士、タキさまでした
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